長浜ラーメン

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更新日:
 2015年6月12日



◎長浜ラーメン(2015年6月10日)
 福岡市中央区長浜の店舗や、屋台のラーメンのことを「長浜ラーメン」、または「博多長浜ラーメン」と呼ぶ場合があります。博多ラーメンの中で、独自に進化したラーメンという位置づけのようです。最初の頃は「市場のラーメン」と呼ばれていたそうです。
 長浜ラーメンの特徴は、すぐに茹で上がる「超極細麺」と独特の臭いのする「パンチの効いたスープ」です。麺の固さを「ヤワ」、「普通」、「カタ」、「バリカタ」、「ハリガネ」、「ナマ(粉落とし)」など、好みにリクエスト出来ます。また、替玉として麺だけを追加注文できることも特徴です。さらに替え玉によってスープが薄まった時に入れるために「ラーメンのタレ(かえし)」がテーブルに置いてあったり、替玉の時に味を変えるために「紅しょうが」や「胡麻」なども置いてあるのが特徴です。
 長浜ラーメンの発祥は博多ラーメンの後、1955年(昭和30年)頃と言われています。これは博多区築港本町にあった魚市場が長浜地区に移転し、「福岡市中央卸売市場鮮魚市場」ができたことがきっかけだと言われています。
 この魚市場の移転にともない「元祖長浜屋」や「一心亭」など、市場ラーメンの屋台も長浜に相次いで移転しました。スープは、当時、流行っていた博多の白濁した豚骨ラーメンだったそうです。ただし、お客さんが主に市場関係者であったことから、魚の競りの合間に来て、素早く食べられるようにと素早く茹でられる極細麺になっていったそうです。極細麺のため、大盛りを作ると、食べている間に麺が伸びてしまうため大盛は作らず、「替え玉」というシステムを生み出したそうです。
 長浜ラーメンの元祖とされている「元祖長浜屋」は、1952年(昭和27年)に開業した屋台のお店です。創業当初は中洲などの町中に出店していたようですが売れず、当時、大浜にあった魚市場前で営業をしたところ、魚市場で働く人達の支持を受け、盛況になったそうです。このため、1955年(昭和30年)に市場が長浜に移転した時、「元祖長浜屋」も一緒に移転していったそうです。現在では長浜ラーメンの特徴となった「替玉」などは、「元祖長浜屋」で生まれたそうです。
 当時のお客さんは、魚市場で働く人や出入りの鮮魚商とタクシードライバーの方々で、屋台自体も薄暗く、あまりきれいではなかったそうです。このため、一般の市民がお店に来ることはほとんどなく、市民の認知度も低かったそうです。ところが1965年(昭和40年)に、ある受験生が長浜のラーメンを食べて合格した、という記事が夕刊フクニチに載ったところ、テレビや雑誌の取材が殺到するようになったそうです。その結果、一般の人にも広がっていき、「長浜ラーメン」と呼ばれるようになっていったそうです。