味千ラーメン

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更新日:
 2015年4月20日



◎味千ラーメン(2020年4月19日)
 「味千ラーメン」は、台湾出身の劉壇祥(重光孝治)さんが1968年に開業した熊本ラーメンのお店です。1972年(昭和47年)7月5日、重光産業株式会社(重光克昭氏社長、資本金6,450万円)
という会社組織にし、全国にチェーン展開をすると同時に海外にも進出し、2020年4月現在、世界15か国で835店舗、日本国内で76店舗を運営しています。特に中国には675店もあり、日本の外食産業の中でも海外展開では先行しています。現在では「劉拉麺」、「伝統熊本豚骨 伝」「千のちゃんぽん 湖東亭」「上海小厨 千包」のブランドのお店を展開するほか、2010年には熊本ラーメンの「桂花」を傘下に収めています。
 味千ラーメンのWeb siteには記載がないのですが、創業者の劉壇祥(重光孝治)さんは、1953年(昭和28年)に山中安敏さん、木村一さんと3人で熊本県玉名市にできた「三九」の豚骨ラーメンを食べに行ったそうです。その味に感銘を受け、ラーメン屋をやることを考えたそうです。3人は試行錯誤してスープを作り上げ、1953年(昭和28年)には木村一さんが「松葉軒」(現在は閉店)を、1954年(昭和29年)には山中安敏さんが「こむらさき」を創業しました。
 1955年(昭和30年)6月、久富サツキさんが「桂花」を創業した時、劉孝治(重光孝治)さんは、「桂花」で調理を務めていたそうです。劉孝治(重光孝治)さんは、出身の台湾の客家料理をヒントにラーメンに揚げたニンニクを入れることを思いついたようです。
 その後、劉壇祥(重光孝治)さんは、棒状のインスタントラーメンを作る下請けをしたそうです。しかし、親会社の経営縮小整理のあおりを受けて倒産したそうです。社員や友人が去って孤独にさいなまれていた時、「この人はこんな風に終わる人じゃない!」「ラーメン屋でもしましょうよ!」と、奥様が劉壇祥(重光孝治)さんの背中を押したのだそうです。
 奥様が駆けずり回って、わずかばかりの資金を工面して、1968年に「味千」というラーメン屋を開業したそうです。この1号店は、熊本県庁前、わずか7坪、8席の小さなお店だったそうです。店舗にはスープを作るスペースが無く、自宅の裏庭でスープを炊き、奥様が自転車で運ぶという方法で営業をしていたそうです。
 最初はメニューをラーメン一つに絞り、集中して味の研究を重ねていったそうです。当初は製麺所に注文していた麺も、目指す味を求め、開店後1年くらいで自家製麺の開発に踏み切ったそうです。小さな倉庫を借りて製麺機を導入し、納得のいく自家製麺を完成させたそうです。このような品質へのこだわりを地道に積み重ね、長く愛される味を作り上げようと努力したそうです。
 創業から5年後の1972年(昭和47年)には「ぜひ味を教えてください」という人が現れたそうです。大津工場で生麺、調味料、スープ等の製造を開始するとともに、フランチャイズチェーン店を募集し、のれん分けをしたそうです。
 「味千拉麺」の屋号には劉壇祥(重光孝治)さんの3つの想いが込められているそうです。「千」は「万願成就」の一歩手前であることから、「常に謙虚に向上心を持って精進していこう」ということだそうです。また、自身の守り神と考えていた「千手観音の、沢山の人を救う慈悲深い千本の手のように、一杯のラーメンを食べて頂くことによってたくさんの人たちに幸せになって頂きたい」という願いと、「いつの日か千の仲間を創りたい」という願いを込めたそうです。
 「味千ラーメン」の香り高い豚骨スープには、独自に開発した褐色のたれ「千味油(せんみゆ)」が使用されており、そこに香ばしいフライドガーリックと厳選小麦粉で仕上げられた自社製麺が加わっています。
 また、マスコットキャラクターである赤いチャイナ服を着て辮髪を結った女の子「チィちゃん」のモデルは、重光産業の創業者の劉壇祥さんの娘で、現在、重光産業の代表取締役副社長を務める重光悦枝(よしえ)さんです。3歳頃の悦枝さんがモデルとなっており、このキャラクターから香港では当初「辮髪ラーメン」と呼ばれていたそうです。

・味千ラーメン 本店
 住所:熊本県熊本市中央区水前寺6-20-24
 TEL:096-384-4433
 営業時間:11時〜24時
 定休日:元日のみ
 駐車場:有(18台)
 アクセス:熊本市電。A系統、商業高校前電停から徒歩約10分
 カード:不可
 席数:60席
 オープン日:1968年