カレーうどん

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更新日:
 2021年1月24日



◎カレーうどん(2020年5月10日)
 「カレーうどん」は、たいていの蕎麦屋、うどん屋にある、極一般的な料理です。いわゆるカレー味のスープにうどんが入っている料理です。麺が蕎麦になったらカレー蕎麦ですが、カレー蕎麦というメニューは聞いたことがありません。一方、カレー南蛮というメニューがあり、こちらは蕎麦が使われているようですが、カレー南蛮を生み出したお店では、麺は蕎麦かうどんか選べるそうですので、蕎麦にしたらカレー南蛮に呼ぶということではありません。お店によっては、「カレー南蛮そば」と「カレー南蛮うどん」というメニューがあるようです。
 カレー南蛮とカレーうどんの大きな違いは、具です。カレー南蛮の「南蛮」とは、「ネギ」のことです。江戸時代に来日した南蛮人がネギを良く食べていたことから、江戸末期から明治時代には「ネギ」のことを「南蛮」と呼ぶようになっていたそうです。すなわち、カレー南蛮には「ネギ」が必須です。一方、カレーうどんには、具の指定はありませんので、ネギが入っていても、入っていなくてもカレースープのうどんであれば「カレーうどん」ということになります。
 井上宏生氏の「日本人はカレーライスがなぜ好きなのか(平凡社新書、2000年11月)」では、日本で初めて「カレーうどん」を世に送りだした店として早稲田の「三朝庵」を紹介しています。1900年を過ぎると早稲田界隈にもカレーの店が登場し、学生たちが殺到するようになり、蕎麦屋だった三朝庵は存亡の危機にさらされたそうです。そこで当時の主人は「ご飯にカレーが乗っているなら、うどんにカレーが乗ってもおかしくはないはずだ」と考え、カレーうどんの開発に情熱を注ぎ、試行錯誤の結果、1904年(明治37年)頃、とろみのあるカレーうどんを発明したそうです。カレーうどんはハイカラ志向の学生たちの評判を集め、店の人気メニューとなり、三朝庵はかつての賑わいを取り戻したそうです。
 しかし、この話はおかしいです。三朝庵が早稲田に店を構えたのは1906年(明治39年)なので、その前の1904年頃に、存亡の危機に遭ったということはあり得ません。三朝庵だったとしたら、もっと後の年代でないと辻褄が合いません。また、カレー南蛮は1908年(明治41年)に大阪、谷町の東京そば(1910年に東京都目黒区に2号店、「朝松庵(あさまつあん)」を出して、東京に進出しました。)が生み出しています。東京そばのカレー南蛮は、大阪で大人気となり、これは売れると考えた店主が、東京に進出し、2号店である朝松庵を出店しました。また、朝松庵のカレー南蛮の麺は蕎麦とうどんの両方があります。従って、1908年に大阪でカレー南蛮を生み出した時点でも、蕎麦もうどんもあったはずです。
 カレー南蛮の「南蛮」は「ネギ」のことですから、カレーの具として「ネギ」にこだわらなければ、単にカレーうどん(あるいは、カレー蕎麦)になります。このことから考えると、カレーうどんは、1908年以降、大阪で「カレー南蛮」を真似した店が増え、自然発生的に生み出されたと考えた方が自然ではないかと考えられます。
 大阪府大阪市西淀川区に本社があるハチ食品株式会社(ハチしょくひん)は、現在でもレトルトカレー、スパイス、パスタソースなどの製造をしている食品メーカーですが、創業は江戸時代末期という老舗企業です。ハチ食品は、2代目の今村弥兵衛氏が1905年(明治38年)に日本初の国産カレー粉「蜂カレー」を発売しています。この時、カレー粉だけでなく、香辛料の販売も開始しています。カレー南蛮が売れ、人気が出たカレー南蛮を真似する蕎麦屋、うどん屋が出たとしても不思議ではありません。何しろ、食の都、大阪なのです。しかも肝心のカレー粉は購入可能な状況なのです。カレーうどんは、大阪で「東京そば」のカレー南蛮を真似したお店から発生した料理ではないかと考えられます。蕎麦ではなく、「うどん」という点も、大阪という土地柄からくるものではないでしょうか。