四海樓

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更新日:
 2021年1月31日



◎四海樓(しかいろう)(2021年1月25日)
 「四海樓(しかいろう)」は長崎県長崎市にある1899年(明治32年)に創業した中華料理店です。長崎で有名な「ちゃんぽん」、「皿うどん」の発祥のお店として知られています。
 「四海樓」を創業した陳平順(ちん・へいじゅん)氏は中国、福建省福州の出身で、1892年(明治25年)、19歳の時、こうもり傘1本持って中国から長崎に渡ってきました。
陳平順氏は「長崎でひと旗あげよう」と、新地で砂糖貿易商を営む縁者の益隆号を頼って来日したそうです。当時の華僑は料理、散髪、仕立屋という「三刀の仕事」くらいしか仕事がなかったそうですが、陳平順氏は保証人の益隆号から金を借りてリヤカーに反物を積み、遠くは島原まで足をのばし、行商しながら資金を貯えていったそうです。
 1894年(明治27年)、1895年(明治28年)の日清戦争を機に、華僑に対する風当たりが強くなったそうですが、陳平順氏は侮蔑の眼差しに耐えながら無心に働くことで苦境を乗り切ったそうです。
 そして、7年後の1899年(明治32年)、明治の初めまであった唐人屋敷の入口付近、広馬場町(現、籠町)に中華菜館兼旅館の「四海樓(しかいろう)」を創業しました。看板には横書きで大きく「官許 大清國四海樓御旅館茶園酒館時點雅菜各国料理」、「四海樓清國御料理御旅館」と書かれ、英文の看板もあったそうです。開業時の従業員が30人という、大規模なものだったそうです。
 「ちゃんぽん」は、陳平順氏が、当時日本に訪れていた大勢の中国人留学生に、安くて栄養価の高い食事を食べさせる為に考案した「支那饂飩(しなうどん)」がルーツだとされています。「支那饂飩」は、福建料理の「湯肉絲麺」をベースに考案したそうです。「湯肉絲麺」は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ネギなどを入れたあっさりしたスープだそうです。これを日本風にアレンジして、ボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺にしたそうです。
 何故、この「支那饂飩(しなうどん)」が「ちゃんぽん」になったのでしょうか。「四海樓」では次のような説明をしています。当時の華僑や留学生は貧しく、「おはよう」よりも、「吃?飯了?(ご飯を食べたか?)」と挨拶することが一般的だったのではないか、とのことです。この挨拶言葉の「吃飯(Ch? fan」を長崎の人が聞いて、「支那うどん」と同義語になり、ついには「ちゃんぽん」になったのでないか、とのことです。「四海樓」の説明では、明治時代後期には「ちゃんぽん」という名称で広く認知されるようになっていたようです。
 明治時代後期から大正時代にかけてはカフェも経営しており、市民からは「上海クラブ」と呼ばれ、港に入港した外国船の船員や医学生、長崎造船所の技師らが訪れ大いに繁盛したそうです。その後、戦争の激化に伴って1944年(昭和19年)に一時閉店を余儀なくされたものの、1951年(昭和26年)9月23日に閉店前と同じ広馬場町(現、籠町)で営業を再開しました。
 1973年(昭和48年)11月14日に規模を拡大する目的で松が枝町の現在地に新築、移転しました。さらに1999年(平成11年)1月から店舗の改築に入り、翌2000年(平成12年)7月4日に現店舗が開店しました。

・四海樓(しかいろう)
 住所:長崎県長崎市松が枝町4-5
 TEL:095-822-1296
 営業時間:11:30〜15:00、17:00〜21:00
 定休日:不定休、年末年始
 駐車場:有
 アクセス::JR、加古川駅から徒歩約3分
 カード:可(JCB、AMEX、VISA、Master、Diners)
 席数:265席
 オープン日:1899年(明治32年)