チャンポンのお話

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更新日:
 2019年8月2日


◎チャンポン(2019年8月1日)
 チャンポンは、長崎が有名な料理です。明治時代中期、長崎市にある中華料理店「四海楼」の初代店主、陳平順氏が、当時日本に訪れていた大勢の中国人留学生に、安くて栄養価の高い食事を食べさせる為に考案した「支那饂飩(しなうどん)」がルーツだとされています。
 陳平順氏は1873年、福建省福州で生まれ、1892年(明治25年)に長崎に渡り、1899年(明治32年)に中華料理店と旅館を兼ねた「四海樓」を創業しました。「支那饂飩」は、福建料理の「湯肉絲麺」をベースに考案したそうです。「湯肉絲麺」は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ネギなどを入れたあっさりしたスープだそうです。これを日本風にアレンジして、ボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺にしたそうです。
 陳平順氏の料理法は、まず鉄鍋を煙がでるくらいに焼き、肉を入れ、具を油でいため、強火でよくかき混ぜて風味をつけます。スープは丸鶏2~3羽と豚骨と鶏骨を3~4時間かけて炊き上げます。このスープの取り方と火加減が秘訣だそうです。麺は小麦粉に唐灰汁を入れて作った独特のもので、独特の風味が出て腐敗防止になります。ラーメンや中華麺は、かんすい(炭酸カリウム約90%)で小麦粉をこねますが、ちゃんぽんの麺は唐灰汁(炭酸ナトリウム約90%)の水でこねた長崎特有のもので、福建地方の食文化が活かされています。
 何故、この「支那饂飩(しなうどん)」が「ちゃんぽん」になったのでしょうか。「四海樓」では次のような説明をしています。当時の華僑や留学生は貧しく、「おはよう」よりも、「吃过飯了嗎(ご飯を食べたか?)」と挨拶することが一般的だったのではないか、とのことです。この挨拶言葉の「吃飯(Chī fàn」を長崎の人が聞いて、「支那うどん」と同義語になり、ついには「ちゃんぽん」になったのでないか、とのことです。
 これ以外にも、次のような説を紹介しています。中国の鉦(かね)の「チャン」と日本の「鼓(つづみ)」の「ポン」を合わせて「ちゃんぽん」と言い、異質の音が混合した造語が「支那うどん」を示すようになり「ちゃんぽん」と呼ばれるようになったと言う説です。
 一般的には、以下のような説も紹介されています。福建語の「混ぜる」を意味する「掺混」がなまったという説、ポルトガル語の「チャンポン(混ぜる、混合するの意味)」が語源とする説、当時の中国人の呼び方である「チャン」と日本人の「ポン」を取って「チャン+ポン」となったとする説、などです。
 しかし、いずれも無理があるように思います。「鉦と鼓」なんて、全く意味が分かりませんし、「混ぜる」が「ちゃんぽん」も意味が分かりません。中国人と日本人で「ちゃんぽん」なんて、食べ物につながる理由が全くありません。
 これらの中では、唯一、「吃飯(Chī fàn」が広まり、「支那うどん」を指すようになったという説が理解しやすいです。これが本当のところではないでしょうか。
 この「チャンポン」という料理、お隣の韓国にもあります。韓国では、中華料理店で出される料理で、チャジャンミョン(ジャージャー麺)と双璧をなす人気メニューです。
 一般には、韓国のチャンポンは赤いスープの辛い料理と思われていますが、実際には赤いスープで辛いチャンポンと、白いスープで辛くないチャンポンがあります。ただ、韓国の人は、8割方、辛いチャンポンを頼むようです。
 韓国でも、元は中国の料理の炒碼麺(ちょまめん)がルーツに当たるようです。日本でも韓国でも、中国から来た人が、労働者や学生などに安くて栄養のある料理を食べさせようと工夫していき、それぞれの国の人の味覚に合った料理に発展していったものと思われます。ですから、韓国では、当初、別の名前で呼ばれていたものと思われます。(現在でも、釜山駅の近くの中国料理屋である「中南海」では、「炒碼麺」にハングルで「チャンポン(짬뽕)」とルビが振られているそうです。)
 その後、日本から来た人たちによって、「あ、この料理は、チャンポンじゃないか!」と言われ、「チャンポン」という名称が広まって行ったものと思われます。長崎のチャンポンも美味しいですが、韓国の辛いチャンポンもお試しあれ。




九州、小倉のお店で食べたチャンポンです。



某チェーン店のピリ辛チャンポンです。



韓国の辛くないチャンポン



いかにも韓国料理といった見た目の韓国の辛いチャンポン