博龍軒

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更新日:
 2015年5月20日



◎博龍軒(2015年5月15日)
 1946年(昭和21年)に、うどん屋台を営んでいた山平進さんと天ぷら屋台を引いていた津田茂さんが合作で豚骨ラーメンを作りました。そのきっかけは、ひょんな偶然だったそうです。ある日、山平進さんの婦人、ミヨ子さんの実家の増築工事でやってきたのが、当時、大工をしていた津田茂さんだったそうです。津田茂さんは満州に出征し、戻ってきたばかりで、食べるのに困っていたそうです。弁当として持ってきた飯盒の中身は麦粥だったそうです。そこで山平進さんが「うどん屋台をしたら、食べることには困らない」と勧めたところ、津田茂さんは大工の腕を生かして屋台を組み上げ、うどんと芋などの野菜を揚げた天ぷらを売り歩いたそうです。
 同業者として親しくなり、付き合いを深めていくうち、津田さんが兵隊時代に中国の満州の奉天(現在の中国瀋陽市)で食べた「十銭ソバ」のことを話したそうです。そこで意気投合した2人は新メニューの開発に乗り出したそうです。津田さんが豚骨スープの麺料理をヒントに、日本人の好みに合わせたスープを作り、山平さんがかん水で平打ちの麺を作ったそうです。この豚骨ラーメンを屋台で売り歩いたそうです。山平さんの屋台は「金龍」、津田さんの当初の屋台の名前は分からないようです。(後に「赤のれん」となります。)当時、うどんが1杯30円の時代にラーメンは1杯50円で売っていたそうです。
 1杯でも多くのラーメンを売りたい2人は、屋台が来たことに気づいてもらうため、建築板金店でチャルメラを作ってもらい、これを吹くことにしたそうです。箱崎の浜辺で練習し、どうにか音が出るようになったものの、始めの頃は重い屋台を引くことよりも、チャルメラを吹く方で息切れがしてきつかったそうです。
 山平さんは1957年(昭和32年)に福岡市東区馬出(まいだし)に据付屋台を出したことを機に屋号を「金龍」から「博龍軒」に変えたそうです。いとこの山平巌さんが大分県日田で「博龍軒」という中華料理店を経営していたので、その名前を拝借したのだそうです。
 博龍軒のスープは豚骨をベースにして、牛骨の足の部分3本ほどを半分に割って入れたそうです。この牛骨の中の髄から実にうまい脂が出て人気を呼んだそうです。最も売れた日は、台風で他の店が休業した時で、300杯以上出て麺がなくなったため、営業の途中で麺を打ちに帰ったそうです。
 山平さんは、ラーメンのスープ作りには火力と釜の材質が勝負と考えていたそうです。そこで山平さんは、国鉄、志免炭鉱の坑木に使われ、炭じんにまみれて古くなった廃材を譲り受けて燃料にしていたそうです。この火力はとても強く、熱伝導や畜熱力がすぐれた鋳物の五右衛門風呂の釜と相まって、最高のスープができたそうです。
 山平さんは毎日、深夜まで仕事をしていたので、朝からスープを作るのは妻、ミヨ子さんの役目だったそうです。当時、2階で寝ていても、山平さんの鼻は時間の経過とともに変化するスープの匂いを敏感にキャッチしていて、夕方近くに最高に仕上がったところでミヨ子さんに合図して、火を弱め、保温していたそうです。
 1971年(昭和46年)3月、山平さんはいとこの新垣弥一さんに店を譲ったそうです。現在は、その弥一さんの長女の新垣厚子さんが店を継いでおり、現在でも博龍軒は馬出中央商店街のすぐそばで営業しています。
 店内は厨房を囲むように並んだカウンター席のみです。右手奥にウォーターサーバーがあるので、セルフサービスでお水を持ってきます。麺は細めのストレートで平べったいです。現在でも、ここで製麺している自家製「平打ち麺」です。

・博龍軒
 住所:福岡県福岡市東区馬出2-5-23
 TEL:092-651-3502
 営業時間:11:00〜16:30(麺がなくなり次第終了)
 定休日:月曜日、木曜日
 駐車場:有(2台)
 アクセス:福岡市営地下鉄、箱崎線、馬出九大前駅、7番出口から徒歩約3分
 カード:不可
 席数:11席(カウンターのみ)
 オープン日:1948年