トルコライスのお話

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更新日:
 2010年8月29日


◎トルコライス(2010年8月27日)
 トルコライスとは、一般に「トルコライス」または、「トルコ風ライス」と呼ばれていて、洋食屋さんで出される料理です。長崎、大阪、神戸などの洋食屋さんで一般的な料理のようですが、私は学生時代に横浜の洋食屋さんで食べたのが最初の体験でした。非常にボリュームがあって、お腹も大満足な料理でした。
 現在では色々なパターンがあるようですが、基本は、「ご飯物」、「スパゲティ」、「肉類」の3種類の料理が1枚の皿の上に載せられた料理です。カレー味のピラフ、ナポリタンスパゲティ、ドミグラスソースのかかった豚カツという組合せが最も一般的なようです。
 店によっては、御飯物はピラフ、チャーハン、バターライス、ドライカレーなどに変化し、スパゲッティはナポリタンが最も主流のようですが、ミートソース、トマトソースなどもあるようです。肉類は、豚カツが最も主流のようですが、ヒレカツだったり、チキンカツやハンバーグになったりするようです。
 このトルコライスは、定まった形式がないために面白い料理と思われているようですが、さらに名前の由来も発祥も謎となっている料理なのだそうです。現在では、長崎では1950年代にあったらしいこと、現在でも多くの店でトルコライスを出すことから、トルコライスの発祥は長崎とする説が強いようですが、他にも大阪発祥説、神戸発祥説などもあるようです。
 名称の「トルコライス」の方は、さらに謎となっていて、様々な説があるそうです。少なくとも、イスラム教徒が多いトルコの料理に豚カツは無いことから、トルコの料理が起源でないことは間違いないと考えられます。
 このような謎が深まる中、トルコライスの考案者は、長崎のレストラン、ビストロボルドーの現在の御主人、植原一氏のお父上、植原一郎氏であるという説が、一部、有力なようです。ビストロボルドーの説明によると、植原一郎氏が昭和30年頃、神戸のシルバーダラと言う将校クラブで働いていた頃、冷ご飯を焼き飯にして出す際、トルコのサフランピラウに似せて考案した料理なのだそうです。もともとは、ワインにサフランを入れて色付けしていましたが、サフラン臭いと言われたため、ターメリックで色付けするように変更したそうです。しかし、今度は粉っぽいと言われたため、カレー粉で色付けしたところ、美味しいと評判になったそうです。また、おかずが欲しいとの要求に応じ、スパゲティーと豚カツを添えて出したのだそうです。植原氏いわく、「サフランピラフ」に似せた料理だから「トルコ風ライス」なのだそうです。この時のメインは焼き飯で、おかずは添え物程度だったそうです。
 その後、植原氏は長崎に来て、レストラン丸善のチーフ、松原氏と友達になったそうです。松原氏が入院中にはヘルプチーフとしてレストラン丸善に勤務し、その際、経営者から「何か面白い料理は無いか?」と聞かれて、この「トルコ風ライス」を教えたのだそうです。その後、松原氏が退院し、松原氏のアレンジが加わった「トルコ風ライス」が丸善のメニューに載ったそうです。その時は、ドライカレーとスパゲティーが半々になり、さらにトンカツが1枚載せられ、カクテルソースとデミグラスソースか掛けられた料理になり、現在のトルコライスの形に近くなっていたようです。
 ビストロボルドーの説明によると、名称の由来として語られている「ピラフ(焼きめし)が中国を、スパゲッティがヨーロッパを意味していて、そこに豚カツが加わって架け橋になるという解釈から、中国とヨーロッパの中間に位置するトルコの名称を冠した」という説や、「フランス語で国旗の三色旗を意味する“トリコロール”が変化し「トルコ」と略された」という説は、いずれも20数年前に、長崎の地域情報誌が作った「仮説」で、後付けの創作である、とのことです。
 まあ、少なくとも、イスラム教徒が多いトルコをトンカツで意味するのは無理がありすぎます。せめてキョフテとかケバブだったら分かりますが、基本がトンカツでは、絶対にトルコではないでしょう。どう考えても、後から考えたこじつけとしか思えません。
 また、「トリコロール」がなまって「トルコ」となったとする説も、後から作ったこじつけにしか聞こえません。3色の料理が横に並べられているのなら三色旗でも良いですが、色合いがそれほど変わらない3種類の料理の盛合せを三色旗だとするには無理があると思います。
 ビストロボルドーの説明は、非常に理解しやすいと思います。ただし、植原氏が考案したのは、現在の「トルコ風ライス」の原型なのだと思います。私の考えでは、長崎に来た植原氏の考案をもとに、松原氏が現在の「トルコ風ライス」を生みだしたのだと思います。松原氏の料理の人気が出れば、その噂を聞いた周りの料理屋さんも真似をして、似たような料理を作っていくことでしょう。そんなことから、長崎では、色々なお店で「我こそは元祖!」とするトルコライスが生まれていったのではないでしょうか。
 また、その一方、植原氏が神戸で働いていた時に、一緒に働いていた人や、その料理を見たことがある人は、植原氏が長崎に行った後、自分流のアレンジを加えた「トルコ風ライス」を作っていたのではないでしょうか。そのため長崎以外では、神戸と大阪が有名なのではないでしょうか。(大阪には、神戸から流れていったものと推測します。)
 そして、この長崎、神戸、大阪で、いずれも、同じような料理が「トルコ風ライス」、「トルコライス」と呼ばれていることは、植原氏が神戸で働いていた時に「トルコ風ライス」だと説明したからではないでしょうか。全然、別の場所で似たような料理があっても、名称までもが同じになるとは思えません。神戸と長崎で同じトルコ風ライスが発生したという点をつなぐ人が植原氏であるとすると、理解しやすいのではないでしょうか。
 このように考えると、植原氏が考案したもともとの「トルコ風ライス」はすでになく、様々な料理人が独自の工夫を加えてアレンジした「トルコ風ライス」が、長崎、神戸、大阪を中心とした様々な場所で生まれ、現在の「トルコライス」になっているものと思います。結論としては、トルコライスとは「ご飯物、スパゲティ、肉類の3種類の料理が1枚の皿の上に載せられた料理」であり、その美味しさ、ボリュームの点で人気の高い料理であるということでしょうか。