豚カツ、トンカツ、とんかつ

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更新日:
 2018年12月3日


◎豚カツ(2018年12月1日)
 豚カツは、厚みのある豚のロースやヒレのスライス肉を、小麦粉、溶き卵、パン粉をまとわせて食用油で揚げた料理です。表記は「とんかつ」、「とんカツ」、「トンカツ」、「豚カツ」などがあります。単に「カツ」と書かれる場合もあります。「カツ」は「カツレツ」の略である。「豚肉」の「カツレツ」で「豚カツレツ」となり、これが省略されて「豚カツ」、さらに「豚=トン」ということから、言いやすい「トンカツ」に変わっていったものと推測されます。
 この「カツレツ」とは、フランス料理の「コートレット(côtelette)」のことだと言われています。この「コートレット」は、英語では「cutlet(カットレット)」と言います。「コートレット」は、もともと仔牛肉をスライスし、細かいパン粉をつけてフライパンなどで炒め焼きする料理だそうです。その後、豚肉など他の素材で同様に調理したり揚げ焼きした料理も「コートレット(カットレット)」と呼ばれるようになったようです。
 1860年(万延元年)に出版された福沢諭吉の「華英通語」には、すでに「吉列(かつれつ)」との当て字が登場しているそうです。
 また1872年(明治5年)に出版された仮名垣魯文の「西洋料理通」下巻には「ホールクコツトレツ」という料理が次のように記されているそうです。ここで「ホールク」とは「ポーク」の意味だそうです。「豕(ぶた)の腋部(あばら)の肉冷残(にあまり)の物、ボートル(バター)一斤の十六分目、葱二本、小麦粉ジトルトスプウン匙に一杯、三十八等の汁五号五勺、塩、胡椒、加減酢食匙に一杯、芥子を少々とき酸(酢)と交らす。豕の腋部の肉五分斬脂肉を去り、葱を刻みボートルを鍋中に投入(いれ)て、豕の五分切及び刻み葱を投混(いれまぜ)て、薄鳶色に変たるを目度とし揚げ、さる後、外の品々を投下して十ミニートの間緩々(ゆるゆる)と煮るべし。」
 すなわち「鍋にバターを入れ、豚のあばら肉と刻んだネギを入れて揚げ、ほかの材料を入れてゆっくりと煮る。」という調理方法のようです。「ポークカツレツ」という名前ですが、調理法からは「ポークソテー」のようです。この「豚のカツレツ」を現在の「豚カツ」に進化させたのは、銀座の老舗洋食屋「煉瓦亭」の創業者、木田元次郎氏だそうです。
 煉瓦亭の創業は1895年(明治28年)ですが、現在のようなポークカツレツを売り出したのは、店を構えてから4年後の1899年(明治32年)だそうです。当時、カツレツはとても手のかかる料理の割に受けが悪かったそうです。肉を一枚一枚ソテーして、オーブンに入れて加熱しますが、脂っこくて日本人の客には不評だったようです。
 そこで木田氏は、天麩羅をヒントに小麦粉、溶き卵、生パン粉をつけ、たっぷりの油を用いてカラッと揚げることを思いついたそうです。これなら油の始末もいちいちしなくて済むし、一度に2枚、3枚と揚げられます。当時、カツレツの付け合わせは、洋食の定番、温野菜だったようですが、これの準備にも手間がかかります。そこで、付け合わせの温野菜も刻んだ生キャベツに代えてみたところ、調理も楽なうえに、さっぱりとしていて料理との相性も良く、たちまち人気メニューになったそうです。揚げもの料理のカツレツとキャベツの組み合わせは「煉瓦亭」の名物となり、やがて全国に広まっていったようです。
 しかし当時は、まだポークカツレツよりもビーフカツレツやチキンカツレツの方が人気だったようです。明治の女性誌「女鑑」の1895年(明治28年)12月刊行号には、カツレツのレシピが載っているそうですが、材料は「牛肉又は鳥肉」となっているそうです。1903年(明治36年)に報知新聞に連載された村井弦斎の小説「食道楽」でもカツレツの材料として鳥や牛、羊が記載されているものの、豚は書かれていないそうです。料理本に「ポークカツレツ」が登場するようになるのは、大正時代になってからのことだそうです。
 牛鍋が文明開化の象徴だったことからも分かるとおり、明治時代を通じて肉といえば牛肉が花形だったようです。牛肉にかわって、豚肉が庶民の食材として広まったのは、日清戦争、日露戦争がきっかけだといわれています。滋養が高いとされる牛肉が軍事食料に使われるようになり、牛肉が不足した結果、豚肉が注目されるようになったそうです。明治時代末期から大正期にかけて少しずつ、ポークカツレツが広まり、それが豚カツと進化し、広がっていったようです。