信玄餅のお話

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更新日:
 2008年9月18日


◎信玄餅(山梨県)(2008年9月18日)
 山梨県のお土産に「信玄餅」というものがあります。しかし、これ、良く見ると「桔梗信玄餅」と書いてあることが多いのではないでしょうか。(というか、「桔梗信玄餅」しか知りませんでした。)何と、「信玄餅」とは、「金精軒製菓株式会社」の登録商標だそうです。で、多分、お土産でもらうのは、「桔梗信玄餅」ですから、こちらは株式会社桔梗屋の商品なのです。金精軒製菓は創業、明治35年6月1日だそうです。一方、桔梗屋は明治22年の創業だそうです。果たして、この2社には、どのような関係があるのでしょうか。
 金精軒が信玄餅を発売し始めたのは1972年(昭和47年)8月1日だそうです。これは、1972年(昭和47年)7月31日(月)の山梨日日新聞2版の下部広告欄に「信玄餅 販売始めました。」という金精軒の広告があることから分かるそうです。
 一方、桔梗屋が信玄餅を発売し始めた時期は1968年(昭和43年)だそうですが、明確な情報がないようです。しかし、1971年(昭和46年)4月1日(木)の山梨日日新聞に全面広告を打っているそうですから、少なくとも1971年(昭和46年)4月1日以前には販売を開始していたものと思われます。
 ところが、桔梗屋が販売をしていた「信玄餅」という商品は、商標登録ができなかったようです。というのは、それ以前に金精軒が「信玄最中」という商標を持っていたので、紛らわしいという理由で登録できなかったようです。その結果、桔梗屋は「信玄餅」という商品名が使えず、「桔梗信玄餅」として販売をするようになったようです。その後、金精軒が改めて「信玄餅」という商標を取得して類似品を発売し始めたようです。
 ちなみに、桔梗屋の説明でも金精軒の説明でも、「信玄餅」は静岡市の銘菓である「安倍川餅」が発想のヒントなのだそうです。山梨県では、古来よりお盆の時期に、餅にきな粉と黒蜜をかけた安倍川餅を供えて食べる風習があったそうです。これをもとに現代風に小さくまとめ、お盆だけでなく一年中食べられるものにしたのが「桔梗信玄餅」だそうです。当時、風呂敷で包むという形態はなく、斬新な商品形態だったようです。1968年(昭和43年)の正月に、最初の試作品ができ、その夏に販売に踏み切ったそうです。
 桔梗屋の「桔梗信玄餅」は、きな粉が最初から全量かかっています。金精軒に比べ、きな粉の風味が弱いようです。餅は柔らかく、しっとりした感じです。黒蜜は、きな粉と混ぜると固形化しやすく、餅に貼り付く感じです。
 金精軒製菓の「信玄餅」は、きな粉が自家製で、別袋になっています。また、このきな粉は、既に餅にまぶしてあるものよりも、色鮮やかで風味も強いようです。餅は、歯ごたえがあり、いかにも「餅」という食感です。黒蜜は、きな粉を混ぜてもトロリとしていて、餅にからみつく感じです。金精軒製菓の説明では、「信玄餅」は安倍川餅をルーツとしており、黒蜜ときな粉と餅の調和を楽しむよう製造されておりますので、いろいろ手を加えるよりは、そのままで食べることが良い、とのことです。
 現在の金精軒では、通常の信玄餅以外にも、賞味期限が短い「生信玄餅」や、さらに賞味期限が短く、製造・販売期間も限定の「水信玄餅」なども製造、販売しています。桔梗屋よりも賞味期限が短いため、柔らかく美味しいと思いますが、お土産としての流通は難しいのかもしれません。このため、お土産としては桔梗屋の信玄餅の方が適しているのかもしれません。