サンマー麺のお話

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更新日:
 2012年12月21日


◎サンマーメン
 あまり有名ではないかもしれませんが、横浜の名物だそうです。私が大学に入学した時、大学の構内にある学生食堂に、このメニューがあり、初めて、この料理名を見ました。その時、「サンマー麺?秋刀魚が乗っているのか?それとも、秋刀魚で出汁をとった麺なのか?」と不思議に思い、好奇心にかられて注文したところ、醤油ラーメンの上にモヤシを中心とした具(ほとんどがモヤシで、非常に僅かのニラと豚肉があったような気がします)が乗っていて、さらにトロッとしたアンがかかっていたラーメンで、美味しかったことを覚えています。大学の知人や友人に、名前の由来を聞いたものの誰も知らず、「横浜名物だよ」という情報しか得られませんでした。
 それから25年以上が経ち、現在では、インターネットで簡単に色々なことが調べれられるようになりました。便利な世の中になったと実感しています。
 そこで、サンマーメンをインターネットで調べてみると、名前の由来は不明なようです。現在では、「生碼麺」、「生馬麺」、「三碼麺」などの漢字をあてている店が多いようです。学生時代に見たのは、カタカナ表記か、「生碼麺」だったような気がします。
 ネットでの情報では、「細麺を使った塩ラーメンか醤油ラーメンの上にシャキシャキのモヤシを軽く炒めて、片栗粉を溶いたアンを絡めて乗せた麺料理」との説明が多いようです。簡単に言うと「あんかけモヤシラーメン」という感じでしょうか。また、「横浜の名物」とも、さらに広く「神奈川の名物」ともありましたが、いずれにしても横浜近郊の神奈川県で有名な料理のようです。
 語源については、色々な説が語られていましたが、発祥としては、横浜の伊勢佐木町にある玉泉亭という説と、横浜中華街の聘珍楼という説の2つが有名なようですが、どちらが発祥かは明確になっていないようです。
 そんな中、「かながわサンマー麺の会」というウェブサイトを見つけました。ここでは、以下のような説明がされていました。(2012年12月20日、引用)

・サンマーメンの云われ
 サンマーメンは戦前当時、調理人達のまかない料理だったもので、とろみを付けた肉そばが原形になったと言われております。
 神奈川県横浜市中区の中華料理店から戦後(昭和22~23年頃)発祥したと云われており、およそ60余年の歴史があります。醤油味がベースのスープに、具は肉とモヤシ、白菜程度で、その季節に有る具にアンをかけた簡単なものでした。しかし当時ではラーメンよりボリュームがあり美味しく、アンがかかっているので寒い季節は温まって、元気が出てくることから徐々に商品化され、お店にも並ぶようになってきたのです。
 最近では見た目も鮮やかに料理の色合いと栄養価を引き出す基本、白・黒・赤・黄・青(緑)の5色の食材(もやし・白菜=白、キクラゲ=黒、豚肉・人参=赤、タケノコ=黄色、ニラ・葉物=青(緑)など)を載せ、栄養も考え合わせた美味しい調理法に変わってきました。
 この具の中で「モヤシ」の存在は欠かせません。材料費としても安く、シャキシャキとして口当たりも良く、ボリュームもあるので、一般のお店がサンマーメンを取り扱うようになってからは「もやし」が主体に使われるようになってきたのです。
 また、麺料理の中に「もやしそば」があり、サンマーメンともやしソバは同じ商品と思われている人も少なくないようですが実は別な料理なのです。基本的な味付けも違いますが、サンマーメンはとろみを付けたもの、もやしそばにはとろみを付けないのが一般的ですので区別できるでしょう。

・サンマーメンの語源
 サンマーメンと言うと「サンマが乗っているラーメン?」と思っている人も事実いますが、サンマーメンは漢字で「生馬麺」と書きます。「生=サン」、「馬=マー」は広東語の読み方で、調理法も、やや甘めの広東料理に属しています。
 「生馬麺」の意味は「生(サン)」は「新鮮でしゃきしゃきした」と言う意味で、「馬(マー)」は「上に載せる」と言う意味があります。つまり新鮮な野菜や肉をサッと炒めてシャキシャキ感の有る具を麺の上に載せることから名付けられたと伝われているのです。
 また「生碼麺」と書いてあるお店もあります。この「碼」の字の意味ですが、中国では、部屋番号を表したり、港の埠頭を指す意味であり、余り料理用語には使用しません。歴史的に見ると、横浜には埠頭が多く存在しており、港で働く労働者が好んで食べたところから、この字が使われるようになったと言う説もあります。もともと中区には中華街が有り、サンマーメンも中国人と日本人の交流の中から生まれ出てきたものですので、なんとなく「馬」、「碼」両方が使われるようになった のでしょう。

・サンマーメンの定義
 今では横浜の中区だけではなく、神奈川県全域はもちろん、関東各地でもサンマーメンを提供するお店が増えております。
 伝統のあるサンマーメンですが、では「サンマーメンとはこうして作るものだ」と言う定義はあるのでしょうか? 実は確定された定義はありません。事実、上に載せる具も、お店によって様々であり、使用する基本調味料も醤油味の店と塩味の店が存在します。更に分類すると、スープも載せるあんかけの具も醤油味の店と、スープは醤油、具は塩味と言う店、また両方塩味と言う店もまれですが有ります。(発祥当時はスープも具も醤油味でした)しかし少なくても「肉とモヤシや白菜を使用し、野菜はシャキッと手早く炒め、必ずとろみを付けてコクのある具に仕上げる事」は共通しているようです。
 独特の奥深いコクと食欲をそそる香り、あんのかかったスープが麺に絡み、麺をすすると口の中に旨さが広がる。ついつい最後の一滴までも飲み干してしまう。そんなサンマーメンはどなたにも愛される逸品、必ずファンになるでしょう。
 かながわサンマー麺の会、会員はお客様の為に歴史あるこの味を手を抜かず真剣に作ります。是非一度ご賞味下さい。

 ということで、元々は広東語で、「生馬麺」の意味は、「生(サン)」は「新鮮でしゃきしゃきした」、「馬(マー)」は「上に載せる」と言う意味で、「新鮮な野菜や肉をサッと炒めてシャキシャキ感の有る具を麺の上に載せることから名付けられた」とされています。

 そして、この「かながわサンマー麺の会」には、発祥とされる玉泉亭が入っています。そこで、玉泉亭のウェブサイトを見てみると、『当店のこだわり 店主からの一言』として、以下のようなことが書かれていました。(2012年12月21日、引用)

 『戦後当店先代が考案し「生碼麺」と命名。由来は「生(野菜)」、「碼(具)」を載せた麺という意味から付けられたと云われる。』

 堂々と「玉泉亭の先代(二代目)が考案し、名づけた」と記載されています。これだけを見れば玉泉亭が発祥と思ってしまいますが、聘珍楼は「かながわサンマー麺の会」には入っていません。また、聘珍楼に限らず、中華街に居を構えているお店は、たったの1軒も、この「かながわサンマー麺の会」には入っていませんでした。これでは「玉泉亭が考案した」とは言えないのではないでしょうか。

 玉泉亭について調べていると、玉泉亭は「横浜のれん会」という会にも入っているようです。こちらに玉泉亭のウェブサイトがあり、サンマーメンについて、以下のような説明がありました。(玉泉亭は、自社のウェブサイトを持っていないようです。)

 『サンマーメンは2代目の時に始めて以来、人気を保っている。それまでの中国風の脂っこいのに少し注意して、それを緩和させるため工夫、あんかけ風に心がけ、日本人の舌や好みに合わせた。当時売れッ子のタレント前田武彦のグループが喜んで食べてくれたものだ、と語り継がれている。』

 この内容では、2代目の時にメニューに乗せたことは間違いないようですが、初めて作った(考案した)ということではなさそうです。

 ちなみに玉泉亭は、大正7年に、初代、井田小三郎が、現在の伊勢佐木町ではなく、その近くにある曙町に「三国料理」という名前で開店したのだそうです。これは、西洋料埋、中華料理、日本料埋の意味で「三国」と名付けられたようです。その後、二代目、井田辰雄、さらに昭和54年3月からは、三代目で現在も店主の井田武雄氏が継いでいるとのことです。

 玉泉亭の情報だけでは、よく分かりませんので、聘珍樓についても調べてみました。聘珍樓は、1884年(明治17年)創業で、日本に現存する中国料理店では最古の屋号をもつ老舗だそうです。聘珍樓のウェブサイトによると、聘珍樓とは「良き人、素晴らしき人が集まり来る館」という意味だそうです。(2012年12月21日、引用。下記も同じ。)

 そして、サンマーメンについては、FAQのページに説明が書いてありました。その内容は、下記の通りです。

 サンマーメンに興味を持ち、色々調べてみたのですが、不明確な点が多く、お聞きしたいと思いました。サンマーメンは、横浜中華街の聘珍樓発祥というのは、本当の話なのでしょうか?
 サンマーメンが生まれた経緯や、本当のサンマーメンとはどういうものなのか、具材や、スープは本当は何を使うのか等、ルールや、基本形があるのであれば、詳しく教えていただけますか?

 サンマー麺の由来については、昭和5年に、聘珍樓の先々代のオーナーが考案したのが始まりとされています。しかし、正直なところ、明治20年創業の聘珍樓とはいえ、関東大震災と横浜大空襲という二度の壊滅的な災禍を経て、残念ながら創業当時からの詳細な資料は残っていないのが現実です。
 今日、横浜を中心に神奈川地区では大変メジャーな中華麺のメニューであるサンマー麺ですが、他の地域では余り食べられず、意外に知られていないところを見ると、サンマー麺はやはりここ横浜中華街で誕生し、ここからから派生していったのは間違いないと思われます。
 もちろん、本場中国や世界中のチャイナタウンを巡っても、現在、日本で食べられているサンマー麺に出会うことはありません。
 サンマー麺を漢字で書くと「生碼麺」や「生馬麺」と標記しますが、「碼」は具材を意味しますので、「生碼麺」は「新鮮で生きの良い具材を使った麺」という意味になります。また、「碼」の当て字で発音が同じ「馬」を使うのは「食べれば馬のような活力が湧いてくる」という願いも込められているのでしょう。
 今日、どの店のサンマー麺を注文しても必ずモヤシが使われていますが、元来、「碼」の字には「モヤシ」と言う意味はありません。では、何故、モヤシが必ずサンマー麺に使われているかというと、まだまだ物資が乏しかった頃から、安価で栄養価も高く栽培もしやすかったモヤシが重宝がられて使われたのが始まりであったものと思われます。
 そしていつしかそれが定着し、ボリュームたっぷりのサンマー麺が中華麺のメニューとして地域に定着していったのだと思われます。

 との説明です。「昭和5年に、聘珍樓の先々代のオーナーが考案したのが始まりという話があるか、真偽については、資料がなく、聘珍樓としても分からない。」というのが事実で、何とも言えない結果です。

 そのような中、面白い記事を見つけました。「はまれぽ.com」というウェブサイトの2011年2月7日付けの記事です。タイトルは『正式な「サンマーメン」とはどのようなものですか?』で、取材の結果、『野菜を多く使ったトロミのある優しい味のラーメンです。実は、それ以外の決まった定義はありませんでした!』が結論であるとしています。

 この取材先は、何と、「かながわサンマー麺の会」の会長である張学金さんと、「聘珍樓」の西崎総料理長なのです。本当は、さらに玉泉亭、三代目の井田武雄さんにも取材をしていただきたかったところですが、玉泉亭からはウェブサイトに記載されている以上の情報はないのかもしれませんね。

 「聘珍樓」の西崎総料理長によると、「昔、物資が少なかった時代に、手に入りやすいモヤシと豚肉を使って工夫された料理がサンマーメンなんですよ。」だそうです。さらに西崎氏によると、「昭和5年に聘珍樓の先々代のオーナーが考案しました。海や山の自然の幸を何でも吸収してしまう広東料理の流れを汲んでいます。」とのことで、当然のことながら聘珍樓のウェブサイトに記載されている内容に従ったものでした。
 その「聘珍樓」のサンマーメンは、主にモヤシと豚肉を使ったラーメンだそうです。具材にはシャキシャキとしたモヤシと細切り豚肉のほかに、キクラゲ、小松菜が使われていました。野菜アンは、薄味のようですが、醤油ベースのスープが香ばしく、スッキリとした優しい味に仕上がっているそうです。

 一方、張学金さんによると、元々のサンマーメンは、モヤシもトロミもない「まかない食」だったそうです。語源は「生碼麺」で、中国語だそうです。「碼」は、もともとは波止場の意味だそうです。サンマー麺は、元々は、港町で食べられていたラーメンの総称だったそうです。具は白菜が中心で、新米のコックが細切りの練習をするのを兼ねた賄い食だったそうです。
 このため、当時は野菜の細切りが具のメインで、モヤシもトロミもなかったそうです。戦後、物資難の中で満腹感を得たかったため、広東麺の餡を応用してトロミをつけるようになったそうです。デンプンは腹持ちがいい上に、調味料を多く使わない薄味でも麺に絡んで濃く感じるので重宝したそうです。
 また、具がモヤシになっていったのは、当時、中華街の市場通りにモヤシ工場があったので、入手が楽だった事が原因ではないか、とのことでした。
 近年では「生碼麺」という文字も、「上に乗せる」という意味の「馬」を使って「生馬麺」と書くお店が増えてきたようです。
 張学金さんによれば「聘珍樓が発祥」という説についても正しいと思って良いようです。賄い料理だった生碼麺を「お客に出す料理として改良して提供した」という点で、今のサンマーメンの発祥として正しいとのことです。
 また、店によって色々なバリエーションがあることも特に問題とは考えていないようです。客の好みや、店主のこだわりで変えるのが実情で、かながわサンマー麺の会でも、味については決めていないそうです。「具は5種類以上使う」と決めているだけで、それ以外は、特に決まりがないそうです。

 この記事からは、張学金さんの説明が、非常に分かりやすく、理解しやすいと思います。元々は、料理屋さんの賄い食で、コックが細切りの練習をするのを兼ねた細切り野菜が使われていた、とか、物資難の時代に手に入れやすかったモヤシを使って、さらに腹持ちをよくさせるために澱粉でアンを作ったなど、真実味があります。きっと、これが本当のことなのでしょう。どこの店にも似たような賄い食があって、そのうち誰かが「サンマー麺」などと呼ぶようになって、名称が広まっていったのでしょう。物資難の時代に、「こっちでこんな工夫をしている」と聞けば、真似をするでしょうから、名称とともに似たような作り方が広がっていくことも予想できます。

 結局、サンマー麺とは、横浜のいろいろなお店の賄い料理を改良してできた麺料理だということでしょう。「かながわサンマー麺の会」では、正式な「サンマーメン」とは、「野菜を多く使ったトロミのある優しい味のラーメン」と定義しており、それ以外の決まりはないようです。

 是非、横浜に行ったら、横浜名物、サンマーメンを食べたいですね。きっと、いろいろなお店で、いろいろな味を見つけることができるでしょう。




こちらが玉泉亭のサンマー麺です。