味噌ラーメン

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更新日:
 2020年11月8日



◎味噌ラーメン(2020年11月6日)
 味噌ラーメンは、札幌にあるラーメン屋「味の三平」で生まれたとされています。いわゆる札幌ラーメンが発展するのは、戦後、札幌でラーメンの屋台を開いた西山仙治氏(後の「だるま軒」の店主)、松田勘七氏(後の「龍鳳」の店主)という二人の力が大きいようです。松田勘七氏からこってりスープを、西山仙治氏から調理の基本を教えてもらってラーメン作りを始めたのが、大宮守人氏(後の「味の三平」の店主)です。
 大宮守人氏は1950年(昭和25年)頃、ラーメンに炒めたモヤシをのせるアイデアを思いつきました。大宮氏は、麺が茹であがるのをお客さんが待つ間、何か楽しめることはないかと考え、フライパンで野菜を炒めるパフォーマンスを思いついたそうです。目の前で自分に出されるラーメンができあがる、という期待感は、美味しいものをさらに美味しく感じさせます。また、野菜入りのラーメンはボリュームアップし、栄養価も高まり、彩りも良くなりました。
 その後、1952年(昭和27年)頃、常連客から「豚汁の中にラーメンの麺を入れてくれ」と頼まれたことをきっかけに味噌ラーメンの開発に着手したそうです。大宮氏自身も味噌好きだったため、新しいラーメンの開発を始めたものの、なかなか納得のいく味にならなかったそうです。このため最初の数年間は、開発中の裏メニューとして常連客だけに出していたそうです。
 この頃、三平の常連客の中にアメリカ領事館に努めるゲイダックさんという人がいたそうです。ゲイダックさんが裏メニューの味噌ラーメンを食べて「これはいい、どんどん研究しなさい」と勧めたことに自信を深め、大宮氏は開発を続けていったそうです。研究の結果、味噌と動物性スープの接点はニンニクにあったことを突き止め、1956年(昭和31年)頃、やっと正式にメニューに「味噌ラーメン」が載ったそうです。
 当時、札幌で麺を作らせれば西山仙治氏の右に出るものはいなかったそうですが、その西山仙治氏は1953年(昭和28年)頃、突然、札幌を離れ、北見に旅立ってしまったそうです。そこで、この後を継いだのが、1949年(昭和24年)に札幌にやってきた西山仙治氏の従弟である西山孝之氏(後の西山製麺(株)、初代社長)でした。
 仙治氏の技術を受け継いだ孝之氏は、大宮氏の味噌ラーメンに合う麺の開発に着手しました。同時に松田氏のこってりスープに合う麺も開発していましたが、味噌ラーメンの方がこってり度は高く、難易度が高かったそうです。最初に試作した麺は太く、まるでうどんのような麺だったそうです。しかし、この麺は食感が今一だったそうです。そこで、麺を細くするために小麦粉のグルテンを強くしてコシを出したり、スープとよくからまるように麺をちぢれさせたり、さらには麺にも自己主張をもたせるべく、卵を加えて黄色くするなどの改良が加えられました。孝之氏は大宮氏とともに試行錯誤を重ね、ようやく味噌スープに合う、これぞ札幌ラーメンと言えるような王道の麺が完成したそうです。
 大宮氏は、味噌スープの秘伝を聞かれると惜しみなく教え、それが札幌のラーメン屋さんに広まっていったようです。また、西山孝之氏は様々なラーメン店と共同で麺の研究を重ね、のどごしが良く、見た目もきれいな、太めでちぢれた黄色い玉子麺を作り上げました。
 昭和30年後半から40年代にかけて全国の百貨店などの北海道物産展で札幌ラーメンの実演販売が行われた結果、大きな反響を呼び、全国的な札幌ラーメンブームが起き、全国的に名前が知られるようになりました。現在では、札幌ラーメンと言えば、味噌ラーメンということで認識されていると思います。