日本のポテトチップスのお話

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更新日:
 2013年9月2日


◎日本のポテトチップス(2013年9月2日)
 日本でのポテトチップス製造の元祖は、ハワイでポテトチップスの製造を学んだ浜田音四郎(明治44年11月生まれ)氏だそうです。浜田氏は終戦後、ハワイから帰国し、故郷で数年過ごした後、上京しました。
 当時の日本の食糧事情の酷さに驚き、ハワイにいる時に作り方を覚えたポテトチップスを製造、販売する会社を興すことを決意し、昭和23年に牛込納戸町に小規模のバッチ式手揚げの「アメリカン・ポテトチップ」と言う会社を設立し、「フラ印」として販売を開始しました。これが、日本でのポテトチップス製造の元祖です。
 当初は、北海道のジャガイモを原料に使用し、新宿と市ヶ谷で売り出したそうです。当時は35gで36円だったそうです。この頃は、主にアメリカ軍のキャンプに納品していたそうです。当時の日本人には、ポテトチップスの美味しさは理解されず、全く見向きされなかったそうです。
 そこで浜田氏はビヤホールやホテルなどを回って宣伝に努め、ビールのつまみとしてPRした結果、1年後には順調に売れるようになったそうです。
 昭和30年代には高度成長経済と食の欧米化の波にも乗り、ポテトチップスもスナックとして多くの日本人に知られるようになっていきました。ここで忘れてはならないのは、浜田氏は、ポテトチップスの製法を秘密にしなかったことです。むしろ、多くの日本人に教え、その方々がポテトチップスを販売することによって広く普及していきました。この結果、現在では、ポテトチップスは大人から子供までに好かれるスナック菓子にまで成長しました。
 濱田氏は、事業以外でも様々な活動、活躍をされた方だそうです。昭和23年には「日本ハワイ協会」の設立に参加(昭和33年には第五代会長に就任)し、ハワイと日本の交流に力を尽くしました。大相撲の初の外国出身の関取である高見山を日本に紹介したのも濱田氏だそうです。また、日本赤十字社をはじめ、多額の寄付を通じ社会貢献にも熱心に力を入れておられます。
 こんな浜田氏の活動によって、日本でポテトチップスが広く知られ、食べられているのですね。感謝感謝、ホイ。
 現在では株式会社ソシオ工房(ソシオこうぼう、英:Studio Socio Inc.、本社:東京都千代田区、創業:2003年(平成15年)10月23日)が「フラ印」のポテトチップスの製造、販売を行っています。「ソシオ」とはスペイン語で「仕事仲間」や「共生」を意味する言葉だそうです。