ソースカツ丼

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更新日:
 2018年12月3日


◎ソースカツ丼(2018年11月10日)
 ソースカツ丼は、通常の「カツ丼」と異なり、ソースがかかったカツ(あるいは、ソースをかけて食べるカツ)が丼飯の上に乗っている食べ物です。
 1982年(昭和57年)の「早稲田学報」2月・3月合併号では、朝日新聞に掲載された中西氏の記事を読んだ中部工業大学名誉教授の故・竹内芳太郎(たけうち・よしたろう)氏(1923年、理工学部卒)が、「カツドンと早稲田の学生」と題して思い出を語っているそうです。
 1917年(大正6年)、早稲田大学高等予科(早稲田大学高等学院の前身)に入学した竹内氏は「その頃、正門前の鶴巻町を少し入った右側に、余りパットしない食堂があった。その店でよくカツドンを食べた」というのです。さらに竹内氏は「店には箱形の火鉢があり、その上にオシメを乾燥する金網型のものがかぶせてあり、その段に、何枚ものカツが乗せてあった。冷めないようにしていたとのことです。それを御飯の上に乗せて、ソースか汁かをかけて食べた。無論カツドンと言っていた。しかし今日のように、卵はかけてなかった」とその店について語っています。
 また、竹内氏の自叙伝「年輪の記」(1978年、相模書房)にも、その店は「割合うまかったので、少し時間を遅れて行くと、腰掛ける場所を探すのに苦労するぐらい繁盛していた」とあります。さらに、穴八幡宮近くにあった「高田舎」(「高田牧舎」とは関連がないようです)という店で卵をかけたカツ丼を食べたという記述もあります。
 この「ソースか汁かをかけて食べたカツドン」は、年代や店の場所から推測すると、現在は福井県福井市に本店を構える「ヨーロッパ軒」だと考えられるそうです。ヨーロッパ軒はドイツでの6年間の料理修行から帰ってきた福井県出身の高畠増太郎氏が、1913年(大正2年)11月28日、現在の新宿区早稲田鶴巻町にある早稲田大学120号館(早稲田実業学校中等部・高等部跡地)付近で創業したそうです。屋号はヨーロッパで修行したことに由来し、当時としてはハイカラな屋号だったようです。高畠増太郎氏は、新しい料理は学生さんに一番支持してもらえると思って、鶴巻町というところで最初の店を構えたのだそうです。(「ヨーロッパ軒」の3代目社長、高畠範行さんの話。毎日放送、2018年10月9日放送の「教えてもらう前と後」より。)
 高畠増太郎氏は、当時、日本では、まだ珍しかったウスターソースと出会い、日本に持ち帰り、試行錯誤の末にソースカツ丼を生み出したのだそうです。また、1913年(大正2年)に開催された料理発表会で「ソースカツ丼」を披露したそうです。
 しかし、ヨーロッパ軒は1923年(大正12年)の関東大震災で店舗が倒壊したため、翌1924年(大正13年)に総本店を福井県福井市に移転し、営業を再開し、現在に至っているそうです。
 ソースカツ丼の発祥は東京、早稲田で、福井で発展しているようです。このため、ソースカツ丼は今や福井の名物として福井県民に親しまれているそうです。