揚げ蒲鉾

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更新日:
 2020年8月10日



◎揚げ蒲鉾、揚げかまぼこ(2020年8月10日)
 「揚げかまぼこ(あげかまぼこ)」は、魚のすり身を調味、加工して揚げた食品です。蒲鉾や竹輪を作るようにして材料を加工し、焼いたり、蒸したりするのではなく、成形して揚げた料理です。これ以外にも他の食材をすり身で巻いて揚げた「ごぼう天」、「ウィンナー巻き」など、他の食材を魚のすり身で包んだ「爆弾かまぼこ」なども「揚げ蒲鉾」です。さらに、フライにしたカツレツ製品もあります。
 このように様々な種類の「揚げ蒲鉾」がありますが、関東では「薩摩揚げ」という名称のものが有名で薩摩(鹿児島県)の名産品だと思われていますが、鹿児島県では「薩摩揚げ」とは呼ばれず、「つけ揚げ」と呼ばれているそうです。また、これと同じような料理が東北では「揚げ蒲鉾」、関西では「てんぷら」、関西よりもさらに西の一部地域では「はんぺん」と呼ばれるようです。
 これらの料理、名称が違いますが、通説としてルーツは1つとされているようです。また、蒲鉾ほど歴史は古くないようです。一般的に「揚げ蒲鉾」のルーツとされているのは、関東で「さつま揚げ」と呼ばれている「揚げ蒲鉾」のようです。そして、この「薩摩揚げ(つけ揚げ)」のルーツは沖縄(琉球)にあるようです。
 伝来や時代は定かではありませんが、琉球王国には、中国、福建省から様々な文化が伝わっており、魚のすり身を油で揚げる「チキアギ」と呼ばれる料理があったそうです。沖縄では「かまぼこ」と言えば、この「揚げたかまぼこ」である「チキアギ」を指すのだそうです。
 チキアギには、いろいろな種類があり、最も一般的なものは魚(グルクン(タカサゴ)、スケソウダラやカジキマグロなど)のすり身にゴボウや人参を混ぜて、油で揚げたものだそうです。これ以外にもおめでたい席やシーミー(お墓参り)に欠かせない「紅いかまぼこ(揚げてあり、板についていない)」、卵をたっぷりと使った「カステラかまぼこ」や「フーチバー(ヨモギ)入り」、「アーサー(アオサ)入り」、「もずく入り」、「ゴーヤー入り」など、多くの種類があるそうです。
 沖縄では、この蒲鉾(揚げ蒲鉾=チキアギ)を野菜と一緒に炒めてチャンプルーにするとか、ソーキそばのトッピングにしたり、味噌汁に入れたり、炙ったり焼いたりしてつまみとして食べるなど、現代でも様々な料理に利用されているそうです。
 この沖縄の蒲鉾が鹿児島(薩摩)に伝わったのは、以下の経緯があります。1609年(慶長14年)3月4日、薩摩藩の初代藩主、島津忠恒(しまづ・ただつね)(後、解明して島津家久(しまづ・いえひさ))が3,000名の軍勢を率いて琉球に出兵し、3月8日には琉球王国の領土だった奄美大島に進軍、3月26日には沖縄本島に上陸し、4月1日には首里城にまで進軍しました。琉球軍は4,000名の兵士で対抗したものの敗れ、4月5日に尚寧王が和睦を申し入れ、首里城は開城しました。これにより、琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられました。これにより、琉球王国の文化、食べ物も薩摩(鹿児島)に流入していったと考えられます。
 しかし、琉球王国の「チキアギ」が薩摩(鹿児島)で一般化するには時代が必要だったようです。1つには、薩摩藩11代藩主、島津氏28代当主である島津斉彬(なりあきら、1809年4月28日生誕、1858年8月24日没)公が藩の産業発展策として大量に獲れる小魚の加工を奨励したという説があるそうです。江戸時代後期頃、やっと菜種油が普及したようですので、揚げ物が一般化するのは、丁度、この頃だったかもしれません。また、薩摩藩の江戸屋敷付近から広まったため、「薩摩揚げ」と呼ばれるようになったという説もあるようです。
 ちなみに鹿児島では、沖縄から伝わった通りの「チキアギ」がなまって「つけ揚げ」と呼ばれているそうです。この琉球から薩摩を経由して江戸に伝わった「薩摩揚げ」が、全国に広がり、「揚げ蒲鉾」の文化が日本中に広まったとするには無理があるようです。そもそも、このルートで広まっていったのであれば、名称がバラバラなことが説明できません。江戸時代後期に「食用油」が普及することで、「揚げ物」料理をできるようになり、全国各地で様々な「魚のすり身を中心とした揚げ物料理」が生まれ、発展したと考える方が自然ではないでしょうか。
 全国には、以下のような様々な「揚げ蒲鉾」があります。

・揚げ蒲鉾(宮城県塩釜市)
 塩釜は「揚げ蒲鉾」の生産量が日本一だそうです。地元では「揚げ蒲鉾」と呼ばれており、笹蒲鉾と同じように、頻繁に食卓にのぼるそうです。
 スケソウダラを主体にした「揚げ蒲鉾」の種類は、小判型や四角などの形の変化や、イカ、ゴボウ、野菜を混ぜたものなど、種類も豊富です。

・飫肥天(おびてん)(宮崎県日南市)
 飫肥天(おびてん)とは、宮崎県日南市飫肥地区の郷土料理です。「おび天」とも書かれますが、こちらは株式会社元祖おび天本舗の登録商標となっています。
 飫肥藩領であった江戸時代に領民たちによって作られたという、飫肥地方に伝わる料理です。もともと飫肥周辺では味噌を使う料理が多く、南西諸島からの移住者を中心に19世紀半ばにサトウキビの栽培が始まったことなどを背景に、味噌と黒砂糖を使う飫肥天が誕生したと考えられているそうです。
 イワシ、アジ、シイラ、サバ、トビウオ、サワラなど日向灘の近海でとれる大衆魚を丸ごとすり身にしたものに豆腐を混ぜ、味付けに味噌や醤油、黒砂糖を加えて揚げて作ります。見た目は薩摩揚げに似ていますが、豆腐が入っているため薩摩揚げより柔らかく、ふわりとした食感で、少し甘めで独特の味わいがあります。通常は、そのままで食べます。飫肥では飫肥天の定食を出す飲食店もあり、揚げたての熱い飫肥天を食べられるそうです。

・ごぼう天
 スケトウダラ、エソ、ハモなどのすり身で下処理したゴボウを包んで、油で揚げた揚げ蒲鉾です。ゴボウの代わりにニンジン、インゲンなどの野菜や、イカ、エビ、ゆで卵などを包んだ製品もあります。おでん種のほか、さっと焼いてワサビ醤油やショウガ醤油で食べても美味しいです。



じゃこ天(愛媛宇和島地方)
 愛媛県、宇和島近海で獲れるホタルジャコと呼ばれる小魚などを骨や皮も一緒にすり身にして形を整え、そのまま油で揚げた魚肉の練り製品で、愛媛宇和島地方の特産品です。

・白天(しろてん)
 白天(しろてん)は京阪神、特に大阪で作られている揚げ色をつけない白い揚げ蒲鉾です。揚げ色をつけないため砂糖やミリンなどの糖分はほとんど加えません。また、白く仕上げるために低温で揚げます。
 白天はグチ、ハモ、スケトウダラなどのすり身が使われます。また白天の多くは、キクラゲを混ぜたものですが、細かく切った昆布や紅ショウガ入りの白天もあるそうです。そのまま、わさび醤油をつけて食べるのが一般的ですが、炒め物や和え物の具にも使われます。
 日本3大祭りの一つである大阪天満宮の天神祭ではハモ料理が食べられ、ハモのすり身を使った白天は、貝割れ菜とともにお澄ましにされて食べられています。

・チキアギ
 「チキアギ」は、沖縄の揚げ蒲鉾ですが、沖縄では普通に「かまぼこ」と呼んでいるようです。蒸し蒲鉾と区別する場合は方言で「チキアギ」と呼ぶようです。
 チキアギには、いろいろな種類があり、最も一般的なものは魚(グルクン(タカサゴ)、スケソウダラやカジキマグロなど)のすり身にゴボウや人参を混ぜて、油で揚げたものだそうです。これ以外にもおめでたい席やシーミー(お墓参り)に欠かせない「紅いかまぼこ(揚げてあり、板についていない)」、卵をたっぷりと使った「カステラかまぼこ」や「フーチバー(ヨモギ)入り」、「アーサー(アオサ)入り」、「もずく入り」、「ゴーヤー入り」など、多くの種類があるそうです。
 沖縄では、この蒲鉾(揚げ蒲鉾=チキアギ)を野菜と一緒に炒めてチャンプルーにするとか、ソーキそばのトッピングにしたり、味噌汁に入れたり、炙ったり焼いたりしてつまみとして食べるなど、現代でも様々な料理に利用されているそうです。

・つけ揚げ(さつま揚げ)
 関東では「さつま揚げ」と呼ばれていますが、鹿児島では「つけ揚げ」と呼ばれています。江戸時代後期に一般化したようです。発祥地とも言われるだけあって、消費量は日本一だそうです。
 エソ、グチ、スケソウダラ、イワシなど、新鮮な魚を骨ごとすり身にし、豆腐や卵と混ぜ、地酒などで味を整えてから菜種油で香ばしく揚げます。「にんじん揚げ」、「ごぼう巻き」、サツマイモ入りの「いも天」などのほか、何も入れない棒状の製品もあります。



・骨天(ほねてん)(和歌山県有田市)
 「骨くりてんぷら」の略で、「ほねく」あるいは「骨天」と言います。地元の辰ヶ浜で水揚げされたタチウオを骨ごと砕いて植物油で揚げた料理です。新鮮な太刀魚の内蔵を取り除いた後、骨ごとすり身にしてあるためカルシウムが豊富で、噛むと独特の歯ごたえがあり、旨みも濃いのが特徴です。タチウオのほかにアジ、鯛の稚魚のチャリコ、カミコ(小魚)など、旬の魚も入れるそうです。