牛鍋

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更新日:
 2021年11月28日



◎牛鍋(2021年11月12日)
 「牛鍋」とは、「鉄鍋に割り下を入れて、そこへ肉や野菜を入れて煮て作った料理」です。牛肉を食べる文化は幕末の1859年(安政6年)に横浜が開港された後、外国人から伝わりました。1862年(文久2年)には、横浜入船町で居酒屋を営んでいた「伊勢熊(いせくま)」が1軒の店を2つに仕切り、片側を牛鍋屋として開業したそうです。このことから、牛鍋は横浜発祥とされているようです。
 当時は、食べ慣れていない牛肉のくさ味を消すために、醤油や味噌を使って鍋で煮込んで調理したようです。その結果、あまりの美味しさに大流行したようです。この後、明治になると牛鍋屋が流行し、牛肉食が文明開化の象徴となりました。1871年(明治4年)には仮名垣魯文が「安愚楽鍋」で「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と表現しています。東京の牛鍋屋は1875年(明治8年)には70軒あり、さらに1877年(明治10年)には550軒にまで増えていたそうです。
 物理学者で実業家でもあった大河内正敏は、江戸式の牛鍋は鍋に肉を重ならないように敷いて、肉の上にはタレが上らない程度に入れ、好みによってネギをそろりと肉の上に載せるだけで待つ料理法で、御狩場焼に近いと言っているそうです。
 コメディアンであった古川ロッパは、「牛鍋からすき焼へ」という著書の中で、東京の牛鍋は割下で牛肉を鍋で煮るもので、野菜はネギのみで、あとはしらたきがつくぐらいのもので、豆腐は入れず、食べる際に生卵を使わなかったと書いています。
 創業1893年(明治26年)という横浜市にある「じゃのめや」の牛鍋は、はじめに鉄鍋に割り下を入れ、沸騰したところでお肉、つづいて野菜を入れ煮込む、という流れだそうです。また、同じ横浜市にある創業1895年(明治28年)という「荒井屋」の牛鍋は、一人分の肉や野菜を鉄鍋に入れ、そこに割り下を注ぎ火をつけてグツグツ煮るそうです。肉を焼く時の味付けが「ざらめ(砂糖)と醤油」の場合には関西風すき焼きと言われ、割り下を使う場合は関東風すき焼き、と言われるようです。
 その後、1923年(大正12年)の関東大震災後に、東京に関西風すき焼きが進出し、そのうち東京の牛鍋屋もすき焼きの名称を使うようになったようです。コメディアンであった古川ロッパは、「牛鍋からすき焼へ」という著書に、当初は「すき焼き」の看板でも、関西風ではなく割下を使った牛鍋の店だったと書いています。しかし、そのうちに関西風すき焼きと東京風牛鍋のアイノコ流が流行ってきたとも書かれています。
 この結果、「牛鍋」という名称はなくなり、「すき焼き」が流行っていったようです。また料理としても「すき焼き」が主流になり、江戸初期にあった「牛鍋」を提供する店は非常に少なくなってしまったようです。