長崎ちゃんぽんリンガーハット

このサイトは、日本の地域の情報についてまとめました。

  メニュー

TOPページ 

観光地 

地域情報 

日本のホテル 

日本のニュース 

日本について 

美味しいもの 

海外事情 

海外のホテル 

雑学 

用語辞典 

リンク 


更新日:
 2019年12月11日



◎長崎ちゃんぽん リンガーハット(2019年12月10日)
 リンガーハットは、長崎ちゃんぽんのチェーン店です。2019年9月には、1000号店を東京の羽田空港、第1旅客ターミナルビルにオープンするなど、かなりの大規模にチェーン展開をしている会社です。
 社名の由来は、長崎で幕末から明治初期の頃に広く貿易商を営んでいたイギリス人実業家のフレデリック・リンガーの名前にあやかったものです。「ハット(Hut)」は、小屋や小さな家を意味する言葉で、明るく、響きの良い単語をつなげたそうです。直訳すると「リンガーさんの小さな家」となり、赤いトンガリ屋根の店舗が、これを表しているのだと思います。
 長崎にグラバー園という有名な公園がありますが、ここにはグラバー邸とともにこのリンガーさんの邸宅「リンガー邸」が建っています。「長崎ちゃんぽん」という長崎の郷土料理を販売するにあたり、郷土にちなんだこの大商人の名前をつけたのだそうです。
 リンガーハットは、2019年現在、「リンガーハットジャパン株式会社(本社:東京都品川区、設立:2006年9月1日、資本金:1億円、代表取締役社長:福原扶美勇)」が運営していますが、大きなグループのようです。
 創業者は米濱豪氏です。6人兄弟の長男です。そしてリンガーハットを現在のような巨大なチェーン店に成長させたのは、四男の米濱和英(よねはまかずひで)氏です。米濱家は戦時中、中華民国山東省煙台に住んでいたそうですが、終戦後、鳥取県鳥取市賀露町に引き揚げてきたそうです。父親は新しい事業をやりたいと、映画館の経営を始めたそうです。ただ、上手くいかず、母親が魚の行商をして家計を支えていたようです。
 米濱豪氏は1954年頃、22歳で長崎市に出て、小さなスタンドバーを経営していたそうです。1961年、和英氏が高校3年生の時、父親が他界したそうです。和英氏は高校を卒業すると、母親と豪氏を頼りに、一家で長崎県に転居したそうです。
 米M豪氏は1962年(昭和37年)7月22日、長崎市鍛冶屋町に「とんかつ浜勝」を創業しました。約7坪の小さな店だったそうです。この時、三男、昭英(あきひで)氏、四男、和英氏が一緒に手伝っていました。和英氏は19歳で豚カツ屋の店長として働いたそうです。トンカツ屋はそこそこ流行ったそうですが、故郷の親と弟達を引き取っての生活は決して楽なものではなく、開業資金の借金返済もあり、生活は厳しかったようです。そこで豪氏は豚カツだけでなく、県庁食堂、お好み焼き、肉まん、餃子を他社の店頭で売ったり、寿司、結婚式場、弁当の仕出し屋、立ち飲み串カツスタンド、イオン水の器具の販売など、様々な商売に手を出していたそうです。
 1964年(昭和39年)3月7日に「株式会社浜かつ(資本金:100万円)」を設立し、法人化しました。和英氏は1965年に浜かつの取締役になっています。昭英氏、和英氏の昼夜に及ぶ絶大な献身もあり、事業は順調に成長し、1968年(昭和43年)11月12日、長崎の郷土料理である「卓袱(しっぽく)」を提供する「郷土料理 別館 浜勝」(現、長崎卓袱料理専門店「卓袱浜勝」)を開店させました。豪氏は、街の小さなトンカツ屋では満足せず、本格的な料理屋の経営を目指していたのでしょう。豪氏は、1970年(昭和45年)6月13日には浜勝商事株式会社を設立しています。
 さらに豪氏は、1972年(昭和47年)に180坪のファミリーレストラン「喜々津浜勝」をバイパス沿いに開店させました。内装にもお金をかけたそうです。広大な店舗用地取得費用や内装費など、大きな費用負担があり、なかなか儲からなかったようです。経営者一族が24時間、働きづめで帳尻を合わせていたものの、あまりの過酷さに2人の弟のうち、三男の昭英氏は、「ついていけない」と袂を分かち、独立してしまったそうです。残った四男、和英氏が毎月の売上数字をもって銀行を駆け回り、資金繰りをしていたそうです。(昭英氏は、1970年3月に株式会社鬼が島本舗を設立しています。当時、掛け持ちをしていたのか、それ以前に独立したのかは分かりません。)1973年(昭和48年)4月には、「株式会社浜かつ」を「株式会社浜勝」に商号変更しています。
 この頃、安定した売上を確保できる事業を模索しており、豚カツや卓袱料理は毎日、食べられないため、毎日、食べても飽きない料理を探していたそうです。当時、味噌ラーメンが全国に広がっていた中、長崎では味噌ラーメンが流行らなかったそうです。札幌ラーメン「どさんこ」のお店が長崎の中心地である思案橋の近くにできたものの長続きせず、開店から半年足らずで撤退したそうです。地元の人々は、味噌ラーメンよりも、ちゃんぽんを好んで食べていたことから、「長崎ちゃんぽん」に魅力を感じたそうです。
 そして、1974年(昭和49年)8月13日、「長崎ちゃんめん」という店を長崎市宿町に開店しました。これが後に「長崎ちゃんぽん リンガーハット」としてチェーン展開していくことになります。このため、このお店が「リンガーハットの1号店」とされています。この時の運営会社は株式会社サン・ナガサキです。
 当時は「ちゃんぽん」ではなく、「ちゃんめん」と名乗っていました。後発となるため、純粋な「ちゃんぽん」ではなく、「ちゃんぽん」を「現代風にアレンジしたちゃんぽん」というイメージで販売した方が良いと考えたそうです。そして、山口県宇部市にあった株式会社五平太(現、株式会社ジー・テイスト、「長崎ちゃんめん」をチェーン展開しています。)が「長崎ちゃんめん」というちゃんぽんとラーメンを合わせたような麺料理を販売していたため、この五平太と業務提携し、「長崎ちゃんめん」の名称を九州で使用する権利を買ったそうです。
 また、この「長崎ちゃんめん」の店を展開するにあたり、二男の米濱鉦二(しょうじ)氏を呼び寄せたそうです。鉦二氏は、1956年(昭和31年)3月、国立託間電波高等学校、本科を卒業した後、1956年10月に川崎汽船株式会社に入社し、主にニューヨーク定期航路の船舶無線通信士として勤務していました。その後、1962年3月に船舶通信機を製造している日本電業株式会社に入社し、さらに1963年3月にはコンピューターのシステム設計などを行う株式会社日本ビジネスコンサルタントに入社していました。長兄の豪氏に誘われ、1974年(昭和49年)3月、株式会社浜勝に入社し、「長崎ちゃんめん1号店の創業を担当しました。この頃、鉦二氏は毎日のようにちゃんぽんの店を食べ歩いて様々な味を覚え、和英氏と自社のファミリーレストランの厨房に入って、中華の料理人を招いて、いろいろなちゃんぽんを作り続けたそうです。
 完成した味は、長崎で一般的なこってりした味の「長崎ちゃんぽん」に対抗して、あっさり味をベースにして、麺も炒めるのではなく、煮込み用の生の茹で麺にしました。さらに「長崎ちゃんぽん」に使われていたラードを使わず、「健康」に気を配った料理を作り上げました。
 また、当時、「長崎ちゃんぽん」が350円から400円だったため、値段を250円に設定したそうです。さらに鉦二氏のこだわりで、当時は珍しいオープンキッチンを採用しました。これは、お客間に調理風景を見てもらい、料理ができるまでのワクワク感の演出と、調理風景を見ることで退屈しない、という効果を狙ったそうです。
 そんな中、長兄の豪氏は病気になり、入院、さらに1976年に亡くなってしまいました。そこで和英氏が浜勝の代表取締役社長に、鉦二氏が代表取締役副社長に就任し、二人で事業を展開していくことになりました。和英氏と鉦二氏は、これからの経営について相談し、「資本の集中と人の集中をしよう」と決めました。いわゆる「選択と集中」です。そこで長崎県庁の食堂の受託や弁当業務、すき焼き店から撤退し、将来性があると判断したトンカツ店とチャンポンに集中することにしました。
 そこで、1976年(昭和51年)9月に子会社の「株式会社サン・ナガサキ」を「株式会社長崎ちゃんめん」に商号変更し、チェーン展開の準備を進めていきました。ちゃんぽん店は長崎市内に3号店まで出店しものの、客数に対して利益が伸び悩む状態だったそうです。諫早市に4号店となる郊外型のロードサイド店をオープンしたところ、投資と売り上げのバランスがとれ始めたそうです。この駐車場も広くした諫早店が、その後のリンガーハットのモデル店になったようです。この諫早店から、深夜営業も開始しています。
 1977年、福岡に12店目を出店する時、前述の「長崎ちゃんめん」の屋号に関する契約を解消したそうです。今後、チェーン展開するにあたり、株式会社五平太が運営している「長崎ちゃんめん」と名前が同じでは混乱すると考えたようです。本格的に全国展開を図ることを考えていたのでしょう。そこで、新たな店名を「リンガーハット」にしました。
 福岡に進出した次は関東への進出ということで、1979年(昭和54年)9月30日に関東地区第1号店(通算第37号店)、「リンガーハット 大宮バイパス与野店」を埼玉県与野市(現、さいたま市)に開店しました。その後も、次々と店舗を展開していき、2019年9月には国内で1000店舗目を開業していますし、海外にも出店しています。

・ピリ辛ちゃんぽん



・長崎ちゃんぽん リンガーハット 長崎宿町店
 住所:長崎県長崎市宿町542-3
 TEL:095-839-4216
 営業時間:11:00〜0:30
 定休日:無
 駐車場:有
 アクセス:JR、現川駅(うつつがわえき)から3,344m
 カード:不可
 席数:61席
 オープン日:1974年8月13日