うま馬

このサイトは、日本の地域の情報についてまとめました。

  メニュー

TOPページ 

観光地 

地域情報 

日本のホテル 

日本のニュース 

日本について 

美味しいもの 

海外事情 

海外のホテル 

雑学 

用語辞典 

リンク 


更新日:
 2015年4月20日



◎うま馬(うまうま)(2015年4月15日)
 「うま馬(うまうま)」は、福岡県福岡市博多区に本社がある株式会社ヴィガー(創業:昭和28年、手嶋雅彦社長)が運営しているラーメン屋さんです。いわゆる「博多ラーメン」の老舗のお店です。
 博多ラーメンの元祖は「三馬路(さんまろ)」という澄んだスープのお店だそうです。(昭和55年頃に閉店したそうです。)「三馬路」は、1940年(昭和15年)に中洲の旧福岡玉屋近くの博多川沿いで大陸から戻ってきた森堅太郎(本名、友市)さんが創業した、博多初のラーメン屋台です。スープは半濁気味のあっさりした清湯の豚骨スープで醤油味、麺も平打ち麺で、名前もラーメンではなく「中華そば」と呼ばれていたそうです。
 戦後、間もない頃、この「三馬路」のラーメンを食べて感銘を受けたのが森山勝さんです。森山勝さんは戦時中、戦艦、「霧島」の調理担当兵として任務についていたそうですが、1942年(昭和17年)11月15日、第3次ソロモン海戦で米艦隊の攻撃を受けて霧島は沈没し、九死に一生を得たそうです。
 旧海軍の調理技術は大変高いレベルだったそうです。開戦前の非戦闘時など、艦隊司令長官や艦長など高級将官の会食時にはフランス料理やシャンパン、ワインがテーブルに並び、楽団演奏までなされていたそうです。そこで経験を積み、舌と腕を磨いていた森山さんは戦後、復員し、博多の中洲にあった「三馬路」でラーメンを食べ、感銘を受けたのだそうです。森山さんは、すぐさま弟子入りを願い出て、「三馬路」で働くことになったそうです。
 その後、1951年(昭和26年)に森山勝さんが旧国鉄、博多駅付近(現在の祇園店横)に屋台を開いて独立を果たした時、師匠の森堅太郎さんから「五馬路(うまろ)」という屋号を命名してもらったそうです。多分、「四(し)=死」ということで縁起が悪いということで「四」ではなく、「五」になったのでしょう。
 森山勝さんの屋台は繁盛し、その手伝いをするようになったのが森山勝さんの義理の弟の手嶋武臣さんだそうです。手嶋武臣さんは竹を使って平たく伸ばす製麺方法や豚骨スープの作り方など、「三馬路」由来のラーメンの作り方を学んだそうです。
 そして1953年(昭和28年)に手嶋武臣さんが独り立ちする時、森さんから「五馬路」の屋号をもらい、博多区祇園町に店を持ったそうです。2階が自宅で1階が店舗という建屋を構えて商いを続け、さらに焼き鳥なども出す居酒屋として展開したところ、中洲帰りに締めの一杯をすする客でにぎわったそうです。
 しかし1993年頃、一緒に店を切り盛りしてきた奥様が体調を崩し、店を畳む決心をしたそうです。その頃、手嶋武臣さんの長男、雅彦さんは東京で俳優として活動していたそうですが、日の目を見ることは無かったそうです。そこで手嶋雅彦さんは福岡に戻り、店を手伝うようになったそうです。
 その後、1994年(平成6年)に正式に店を引き継ぐ時に店名を「五馬路」から「うま馬」へ改称し、法人化したそうです。手嶋雅彦さんは、昔ながらのラーメン屋では面白くないと考え、新しい店作りを模索し、ラーメンや焼き鳥などの料理とともにワインも楽しめる「ラーメンダイニング」という形態を思いついたそうです。そこで雅彦さんは、寝る間も惜しんで勉強し、3ヶ月後にワインソムリエの資格を取得しました。
 ワインが飲めるラーメン居酒屋ということで新たな客層を開拓し、お店は大繁盛しました。そこで1999年(平成11年)に冷泉店、2001年(平成13年)に大名店(2017年5月には閉店)、2004年(平成16年)に東京駅店を出店するという多店舗経営をしています。さらに現在ではシンガポールに、タイのバンコク、フィリピンのマニラなど、海外にも店舗を展開しています。
 ちなみに現在の祇園店の店舗は、2004年(平成16年)にリニューアルした3階建てのオシャレな一軒家です。銀色の壁に「はかた」、「うま馬」の四角い行灯が輝いています。1階はL字形のカウンターとオープンキッチン、2階はテーブル席です。

・うま馬 祇園本店
 住所:福岡県福岡市博多区祇園町1-26
 TEL:092-271-4025
 営業時間:11:30〜14:00、7:30〜23:30
 定休日:火曜日、12月31日、元日
 駐車場:無
 アクセス:地下鉄、祇園駅、3番出口から徒歩1分
 カード:可(JCB、AMEX)
 席数:40席(1階:カウンター、2階:座敷)
 オープン日:1953年