南京千両 本家

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更新日:
 2015年4月20日



◎南京千両 本家(なんきんせんりょう ほんけ)(2015年4月13日)
 「南京千両」は豚骨ラーメンの発祥のお店として有名です。1937年(昭和12年)に長崎県島原市出身の宮本時男さんが始めたお店です。
 宮本時男さんは、もともと昭和初年に父、兼松市さんと一緒にうどん屋台「たぬき」というお店を営んでいたそうです。ところが、1935年(昭和10年)頃、時男さんは弟の宮本豊さんから「東京や横浜にはシナそばという美味いものがある。あれを作ってみたらどうか。」と勧められ、横浜の南京街(現在は中華街と呼ぶ)に味の習得に行ったそうです。ただ、どこかの店で修業した訳ではなく、支那ソバの食べ歩きをしていたようです。
 そして久留米市に戻ってきて、自身の出身地の名物である長崎ちゃんぽんを参考にするため、近くの中華料理店「光華楼」に食べに行って味の工夫をしていたそうです。「光華楼」は、チャンポン発祥の店である長崎の「四海楼」、博多の福新楼とともに福建華僑に連なる店で、「チャンポンの三楼」と言われる老舗です。
 1937年(昭和12年)の暮れにラーメンを売り出す時、屋号を「南京千両」に変えたそうです。これは1937年(昭和12年)12月13日に日本軍が中国の首都「南京」を占領したことに因むものだそうです。(当時の中国の首都は南京であり、北京は「北平」と呼ばれる古都でした。)
 時男さんは、当時、鶏ガラよりも安価だった豚骨を使って、豚骨100%のス―プを作ったそうです。しかし、この時に作られたスープは「清湯(ちんたん)スープ」と呼ばれる透明に近いもので、現在「豚骨スープ」と聞いて思い浮かべるような白濁したスープではありません。白濁したトンコツスープは1947年(昭和22年)、宮本さんの知人である杉野勝見さんが久留米市内にオープンした屋台「三九」で偶然、生まれたものだそうです。
 白濁していなくても、それまで日本になかった豚骨100%のス―プのラーメンを作ったのが宮本さんであることは間違いないようです。また、南京千両のチャーシューは細く刻んだ形です。1951年に発売された長谷川伸さんの著書、「ある市井の徒」には明治中期の横浜南京街(現在の中華街)の「遠芳楼」のラウメン(ラーメン)には、細く刻んだ豚肉を煮たものが乗っていて、たいしたうまさ」、と記載されています。宮本時男さんが「遠芳楼」のチャーシューを真似たのか、あるいは、当時、この形状が流行っていたのか分かりませんが、横浜や東京で勉強してきたことを物語っているのもしれません。
 「南京千両」は、現在でも営業されています。現在は、初代、宮本時男さんの息子である憲司さんと孫の博さんを中心に野中町にある店舗や、明治通り沿いの屋台を切り盛りしています。豚頭を強火で炊き、旨味を抽出した茶褐色のスープと、創業より自家製にこだわる緩やかなウェーブの縮れ麺、また、チャーシューを刻んで入れるスタイルも、初代の時代から受け継がれているそうです。久留米市に行ったら、是非、行きたいお店ですね。

・南京千両 本家(なんきんせんりょう ほんけ)
 住所:福岡県久留米市野中町1357-15
 TEL:0942-22-6568
 営業時間:11:00〜22:00
 定休日:第2月曜
 駐車場:有(3台)
 アクセス:JR、久大本線、南久留米駅から徒歩12分
 カード:不可
 席数:32席
 オープン日:1937年