カレーのチャンピオン

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更新日:
 2022年8月7日



◎カレーのチャンピオン(2022年6月12日)
 「カレーのチャンピオン」は、いわゆる「金沢カレー」を提供しているカレー屋さんです。株式会社チャンピオンカレー(本社:石川県野々市市、創業:1961年(昭和36年)、代表取締役社長:南恵太、資本金:300万円)が運営しています。
 創業者の田中吉和氏は、石川県の山中温泉で腕を振るった和食の板前、田中計三郎氏の息子さんで1931年(昭和6年)に生まれ、16歳で洋食の道を志しました。田中吉和氏は、当時金沢市内の日銀裏にあった「ガンコ堂」という洋食屋の店主、早川氏の紹介で1889年(明治22年)に創業し、日本洋食の草分けと呼ばれる名門レストランである東京、新橋の「東洋軒」に修業に出ました。東洋軒には「ブラックカレー」というメニューがあり、現在でも提供されています。この「ブラックカレー」を田中吉和氏が金沢に持ち帰り、後の「金沢カレー」になったと考えられています。修行を終えた田中吉和氏は北陸に戻り、石川や富山を中心にレストランやホテルで勤務しました。その中では料理長も務めたこともあったそうです。
 田中吉和氏は1956年(昭和31年)からは、鉄道弘済会が運営母体である「レストラン ニューカナザワ」の初代チーフコックとして勤務しました。当時の石川県には繊維産業で財を成した名士がたくさんいたそうで、その様な人達に向けて作られたレストランがニューカナザワだったそうです。そこで県内から腕利きのシェフが集められ、その中には後にキッチンユキを創業する宮島幸雄氏、カレーの市民アルバを創業する今度忠氏、インデアンカレーを創業する野村幸男氏、香林坊大黒屋食堂を継承する高田義教氏がいました。
 田中吉和氏はニューカナザワで4年ほど勤務した後、1961年(昭和36年)に妻、博子の実家である金沢市高岡町で「洋食タナカ」を開業し、独立しました。当初は共同経営で鉄板焼き屋を始める計画だったそうですが、紆余曲折あり、洋食店をオープンすることになったそうです。「洋食タナカ」では、オープン後、しばらくして現在の金沢カレーの源流となったカレーを提供しはじめたそうです。このカレーは爆発的な人気を集め、あまりの人気ぶりで、徐々にカレー専門店の様になっていったそうです。また、正確なことは分からないものの、「洋食タナカ」では遅くとも1963年(昭和38年)までには現在の金沢カレーとして親しまれるスタイル(ステンレス製の船皿、カレーの上にソースの掛かったカツとキャベツが載せられる形式)が確立されていたようです。
 そして1965年(昭和40年)に「洋食タナカ」は、「カレーライスのタナカ」としてほぼカレー専門店となったそうです。カレーのタナカが軌道に乗ってしばらく経ったころ、当時のタナカに足繁く通っていた常連客の1人に地元金融機関に勤めていた岡田隆氏がいました。岡田氏はタナカのカレーを気に入って、「カレーのタナカ」の名を変え、共同経営を提案したそうです。田中吉和氏は料理の腕には自信があったものの、会社経営には自信がなかったようで、この協業という提案に魅力を感じたようです。
 そして1971年(昭和46年)7月21日、金沢市高岡町に株式会社ターバンを設立し、代表取締役は岡田隆氏が就任し、田中吉和氏も取締役となりました。そして1971年(昭和46年)8月、「洋食タナカ」の高岡町店をターバンカレーの1号店としてオープンさせました。「洋食タナカ」は高岡町店をオープンさせた後、片町店もオープンさせましたが、田中吉和氏が一人で切り盛りする体制だったため2店舗を同時に営業することができず、高岡町店は仕込み工場になっていたそうです。ここを新たにターバンカレーの1号店として利用したということです。また同じ日にターバンカレー片町店もオープンさせ、2店舗体制でスタートしたそうです。田中吉和氏はこれまで通り調理や店の切り盛りを担当し、岡田氏が経営を担当していたようですが、この体制は業務負担の不均衡などからうまく行かなかったようで、2年後の1973年(昭和48年)12月20日に田中吉和氏、田中博子氏が株式会社ターバンの取締役を辞任し、共同経営を解消しました。
 そして翌1974年(昭和49年)3月、田中吉和氏は金沢市の隣、野々市町(現・野々市市)の金沢工業大学近くに「タナカのターバン」を開店させました。その後、1991年(平成3年)7月15日にFCで堀内店を開店させ、1991年(平成3年)7月29日には「有限会社ターバンカレー工場」を設立しました。
 しかし1996年(平成8年)5月31日に分かれた株式会社ターバンが申請していた商標が登録され(登録番号:第3153766号)たことから、ターバンカレーから「ターバン」の名称を使用しないように通告されたそうです。そこで1996年(平成8年)7月7日に商号を「有限会社チヤンピオンカレー工場」に変更し、店名を「カレーのチャンピオン」に改称しました。「チャンピオン」という名前は「カレー業界のチャンピオンになりたいという思いが込められている」と説明されているようですが、実際は、思い付きで決めたそうです。何しろ、突然の商標登録と使用禁止の通告で、通告を受けてからほぼ3日で決めた名称だそうです。ただ、語感、響きが小気味よかったことと、田中吉和氏はゲンを担ぐ癖があったそうです。「ターバン」と名付けた際も同様だったようです。田中吉和氏は「ン」が付くのは「運」が付くことに通じる、というゲン担ぎから、「ン」が2つ付くから、より良いだろう、と決めたそうです。また、この時、赤と黄色を全面的に出す店舗カラーに変えました。これは田中吉和氏の妻、博子が傾倒していた風水を参考に決めたそうです。
 その後、2006年(平成18年)6月20日に商号を「株式会社チャンピオンカレー」に変更し、現在に至ります。これ以降は、「チャンカレ」の略称で、地元の人達に愛されているようです。



・カレーのチャンピオン 野々市本店
 住所:石川県野々市市高橋町20-17
 TEL:076-248-1497
 営業時間:11:00〜24:00
 定休日:夏季、年末年始
 駐車場:有
 アクセス:北陸鉄道、石川線、野々市工大前駅から徒歩約8分
 カード:不可
 席数:40席
 オープン日:1974年(昭和49年)3月