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更新日:
2022年5月22日
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◎小嶋屋総本店(2022年6月5日)
小嶋屋総本店は、1922年(大正11年)に初代、小林重太郎が、現在の本店所在地である新潟県十日町市中屋敷(旧、中魚沼郡川西町木島町)で創業した蕎麦屋さんです。小林の「小」と、地名である木島町の「島」をとって「小嶋屋」と命名したそうです。昭和40年頃までは「しま」の字は「島」と「嶋」の両方を使っていたそうです。1971年(昭和46年)に個人商店から法人組織化する際、商号を「有限会社小嶋屋本店」とし、「しま」の字を「嶋」に統一したそうです。その後、1987年(昭和62年)に有限会社から株式会社に組織変更する際、商号を「株式会社小嶋屋総本店」と変更したそうです。
小嶋屋総本店は新潟県魚沼地方の郷土料理とされる「へぎそば」の発祥の店として有名です。「へぎそば」とは、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使った蕎麦を「ヘギ」と呼ばれる器に盛り付けた切り蕎麦です。
新潟では江戸時代から蕎麦切りが食べられ、魚沼地方を中心に蕎麦の栽培が始まっていたそうですが、当時は小麦の栽培が行われていなかったため、つなぎにはヤマゴボウの葉や自然薯が使われていたそうです。ただ、この地方は織物の産地であり、織物の緯糸(よこいと)をピンと張るためにフノリ(布海苔)という海藻を使っていたことからフノリが容易に入手できました。そこで新潟県十日町市中屋敷(旧、中魚沼郡川西町木島町)の蕎麦屋、小嶋屋総本店の初代、小林重太郎が「フノリを使ってそばができないか」と研究を重ね、現在のフノリそばを完成させたそうです。
また「へぎそば」の「へぎ」は、「剥ぎ板」で作った四角い器のことで、「剥ぐ=はぐ=へぐ」のなまりで「剥ぎ」が語源です。この器に一口ずつ美しく盛った蕎麦は「手振り」、「手びれ」と呼ばれ、織物をする時の糸を撚り紡いだ(よりつむいだ)「かせぐり」などからきた手ぐりの動作を表しているそうです。
布海苔をつなぎに使っていることから、小麦粉をつなぎにした蕎麦や、十割蕎麦などと比較してツルツルとした喉越しが楽しめるのが特徴です。魚沼地方では、蕎麦の薬味になるワサビが採れなかったため、薬味として刻みネギまたはアサツキとからしを添えていたそうです。また、クルミを添える地区もあったそうです。ワサビが広く流通するようになると、へぎ蕎麦にもワサビが使われるようになり、十日町市や小千谷市のそば店では薬味を「からしのみ」、「わさびのみ」、「両方から選択可能」とするお店もあるそうです。
その後、1946年(昭和21年)に小林重太郎の長男、小林申一が二代目を継ぎ、1975年(昭和50年)に小林申一の長男である小林重則が三代目店主になり、現在も店舗を運営しています。2022年現在、新潟県内に8つの直営店を展開しています。
ちなみに小嶋屋総本店以外に「小嶋屋」と名のつく店は、十日町市に本店のある株式会社小嶋屋と、長岡市に本店のある株式会社長岡小嶋屋があります。株式会社小嶋屋は、1955年(昭和30年)に小林申一が十日町に支店を出し、その後、小林重太郎の三男、小林辰雄に店を任せ、その後、独立したものです。株式会社長岡小嶋屋は、1965年(昭和40年)に小林申一が長岡駅前のニューロンデパートに出店したお店を小林重太郎の五男、小林信雄に任せたお店です。
・小嶋屋総本店
住所:新潟県十日町市中屋敷758-1
TEL:025-768-3311
営業時間:11:00〜21:00
定休日:無
駐車場:有
アクセス:JR、十日町駅から車で約10分
カード:不可
席数:120席
オープン日:1922年(大正11年)
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