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更新日:
2021年10月17日
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◎杉田家(2021年10月17日)
杉田家は、いわゆる「家系ラーメン」の元祖である「吉村家」の直系の暖簾分け1号店という由緒正しい「家系ラーメン」のお店です。「杉田」の名前の通り、神奈川県横浜市、磯子区新杉田町に店舗を構えています。
杉田家の店主、津村進氏は千葉県出身で東京大学を卒業し、インドネシアやタイなどに赴任する商社で営業職に就き、普通にサラリーマンとして働いていたそうです。会社員時代からラーメンが大好きで、友人に連れられて「吉村家」に足を運んだ時、「何だ、これは!」と衝撃を受けたことを覚えているそうです。そんな津村進氏が3社ほどを経験したある日、突然「ラーメン屋をやる」と「ふっ」と思ったそうです。
そこで会社を辞め、いわゆる脱サラして、30歳の頃、千葉県船橋市に「ラーメンまるよし」を開業しました。「まるよし」の「よし」は吉村家の「吉」から名付けたそうです。ラーメン屋をやるに当たり、「吉村家」のことは忘れられなかったのだと思います。
しかし、勢いで店をやってみたものの、当時は「全然お客さんが来なかった」そうです。あまりにお客さんが来ないのでメニューが少ないせいだと考え、餃子、チャーハン、タンメン、広東麺と、どんどんメニューが増えていき、最後には普通の中華料理店になり、何の特徴もないお店になってしまったそうです。
また、ラーメンが売れても1日50〜60杯が限界で、お客さんが入らない日もあったため、「このままではいけない!」と一念発起し、店を閉める決断をし、かねてからの憧れだった吉村家の門を叩いたそうです。2度、面談で落とされたそうですが、3度目の面談でようやく修行をさせてもらえることになったそうです。これが、津村進氏が32歳の頃だそうです。
吉村家でも修行は、非常に厳しい日々だったそうです。吉村実氏は、「教わるのではなく盗め」という昭和スタイルだった上、給料はなしだそうです。さらに、時に拳骨が飛んでくることもあり、今では考えられませんが、昭和の厳しい師弟関係だったそうです。
約1年間の修行を経たある日、吉村実氏から「独立するか?やるなら死ぬ気でやれよ」と言われたそうです。当時、吉村実氏は、自分の「吉村家」を横浜駅に移転する計画を立てており、「吉村家」が横浜駅に進出移転したのと同時に、1999年(平成11年年)、同じJR、新杉田駅近くに「杉田家」を開店しました。吉村家で修業をして、正式に「のれん分け」の許可が出たのは「杉田家」が初だそうです。「杉田家」の開業時は、津村進氏と同時期に脱サラして吉村家で修業をしていた石川聡氏との共同経営という形だったそうです。
開店当時はアルバイトを雇う余裕がなく、津村さん夫妻と石川さん夫妻の2家族で経営していたそうです。しかし、蜜月は長く続かず、2001年に石川聡氏は東京都町田市に「ときわ家」というラーメン店をオープンして独立し、「杉田家」から離れていきました。
津村進氏いわく、「今と同じ営業スタイルになったのは2005(平成17)年頃」とのことです。それまでは「いつも、いつ終わりになるのか分からないという心境だった」とのことですから、5〜6年経って、ようやく店の運営が安定してきたということなのだと思います。
津村進氏の仕事に取り組む姿勢が真摯で真面目であることから、吉村実氏からも信用されていると思われ、吉村家直系としては珍しく、2011(平成23)年1月27日に千葉県千葉市中央区に2号店を出店しています。
・杉田家
住所:神奈川県横浜市磯子区新杉田町3-5
TEL:045-776-2155
営業時間:5:00〜20:00
定休日:日曜日
駐車場:無
アクセス:JR、新杉田駅から徒歩約3分
カード:可(JCB、AMEX、Diners)
席数:13席(カウンターのみ)
オープン日:1999年9月27日
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