家系総本山 吉村家

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更新日:
 2021年10月17日



◎家系総本山 吉村家(2021年5月23日)
 吉村家は、現在、ラーメンの1つのジャンルのようになっている「横浜家系」と呼ばれているラーメンの元祖のお店です。そのため、現在では「家系総本山」と名乗っているようです。
 「吉村家」の創業者である吉村実(よしむら・みのる)氏は、横浜市中区仲尾台中学の第一期生だそうです。その後、左官屋、弁護士の秘書、大工の見習い、洋食屋のコック、床屋の見習い、長距離トラックの運転手などを経た後、東京、平和島(東京都大田区)のトラックターミナルにあったラーメンショップ(現在は閉店)で半年間、修行し、その後、独立し、ラーメン屋を創業しました。
 1974年(昭和49年)、吉村実氏が26歳の時、ラーメン店を開店したそうです。当初は横浜市金沢区の南部市場の前にあったそうです。ただ、最初は味が完成しておらず、当時、寿司屋さんとか居酒屋さんの店主が食べに来てくれて「これはこうじゃねぇの」って、色々なアドバイスをしてくれて、少しずつ美味しい味に改良していったそうです。この時の思いが、「お客様は我が味の師なり」であり、現在でもお店の前に掲げてあります。
 また、吉村実氏によると「酒井製麺」が命の恩人だそうです。吉村実氏いわく、ここまで大きくなったのは、酒井製麺を掴んだからで、酒井製麺でなかったら現在のように大きく伸びなかっただろうとのことです。
 もともとは吉村実氏が修行していたラーメン屋が酒井製麺の麺を使っていたそうです。しかし、そこの社長が酒井製麺を裏切り、自家製麺を始めたそうです。それでそこを飛び出して、吉村実氏は自分でラーメン屋を始めたそうです。この時、酒井製麺に麺の提供を依頼し、そこからの付き合いだそうです。
 吉村実氏によると、「酒井製麺の麺は美味しい。ただ、使いたいと言っても簡単には使えない。あの人は義理堅いから、近所で使っている方がいると取引できない。」そうで、縁があって「酒井製麺」を使えるようになったことが大きかったそうです。
 吉村実氏は生み出したラーメンは、醤油味で豚骨と鶏ガラから出汁を採ったスープに上から鶏油(チーユ)をかけます。酒井製麺の平打ち風の短めの中太麺にチャーシュー、ほうれん草、海苔をトッピングしたラーメンは、吉村実氏によると「九州の豚骨ラーメンと東京の醤油ラーメンを混ぜたもの」だそうです。トラックの運転手として全国を走っていた時、各地のラーメンを食べ歩いていたことから、東京の醤油味と九州の豚骨のちょうど中間にあるような「いいとこ取り」のラーメンができないかと考えたそうです。また注文の際、客の好みに応じて麺のゆで加減、丼に入れる醤油ダレの量(味の濃さ)、鶏油の量を指定出来るのが特徴です。
 開店後、繁盛店となってからも研究を重ねており、ある時は背脂を多く使ったり、ある時は鶏ガラの分量を多くしたりと、少しずつ、お客さんに分からないように変化させて、時代に合った味を提供しているそうです。これが、飽きられない理由であり、トップランナーの宿命だそうです。
 吉村家は、開業からいくつか場所を変えてきたそうです。私が最初に訪問したのは、吉村家のラーメンがこれほどの勢力になるとは知らなかった1989年頃、新杉田ボウルの駐車場近くにあった店舗でした。当時、「豚骨スープ」のラーメンは食べたことがありませんでしたが、店の外まで、ものすごい匂いがしていました。新杉田に住んでいた友人は、地域の住民から苦情が出て、時々、トラブルになっているらしいという話を聞きました。
 その後、1999年10月1日に現在地、JR、横浜駅から徒歩約6分の場所(横浜市西区南幸)に移転しました。横浜駅にお店を出すのが、吉村実氏の念願だったそうです。店が軌道に乗った後、横浜進出を検討してきたものの場所や資金の関係から、1999年にやっと進出ができたそうです。吉村実氏は、その物件を探すのに5年かかったそうです。当時、新杉田に構えていたお店の家賃は8万円だったのに、横浜駅に進出すると100万円だそうです。それでも、吉村実氏は横浜駅で勝負をしたかったそうです。また、現在の店舗は2025年までの契約とのことで、2022年頃には移転するようです。
 吉村実氏は徹底して自分の味にこだわっていますが、多くの弟子を輩出してきたことでも有名です。吉村家で修業し、独立した人が「〇〇家」という店舗名を付けたことから、いつの間にか「家系」と呼ばれるようになったようです。ただ、吉村実氏は商標登録などをしていませんので、現在、吉村家とは全く関わりがなくても勝手に「横浜家系」と名乗って商売をすることができます。「家系」人気にあやかろうとするものでしょうが、そういうお店は、どんどんつぶれて欲しいものです。
 吉村実氏によると、「吉村家」から直系として独立する場合は、しっかりした経営者を育てていくために、のれん分けやフランチャイズ方式ではなく、従業員から100万円〜3億円のファンドを募り、10年の修業期間を目安に投資するという形態を取っているそうです。吉村社長いわく「今のところ、回収率は100%です。私のことを『ラーメン界のビル・ゲイツ』とか言う人もいると聞きますが、半分は誇張ですが、半分は当たっている。」のだそうです。また、資金的に足りない場合は金を貸す場合もあるそうです。最短では6ヶ月から独立できるものの、修業期間が短い場合はベテラン社員を派遣するなど、人的な応援はするものの、金銭的な援助はせず、あくまで自己責任で開業を目指してもらうそうです。(2007年1月12日、ヨコハマ経済新聞)
 また、一般的にラーメン屋は1日に300杯売れば繁盛店とされているそうですが、「吉村家」の基準では600杯でまあまあ、800〜1000杯は当たり前、1200〜1500杯で超繁盛店と位置づけているのだそうです。横浜の総本家は実際に、超繁盛店のレベルをクリアーしているそうです。
 現在では吉村実氏の味を受け継ぐ人間は、直弟子、孫弟子を含めて300人以上にもなるそうですが、吉村実氏が認めている店だけが「直系店舗」として家系を名乗るべきと考えているそうです。その基準は、@吉村家にて修行をし、無事開業に至った店舗であり、Aなおかつ家系ラーメン店経営者として立派に運営をし、B成功している店舗のこと、だそうです。吉村家で修行をし、就業しただけでは直系皆伝とは認めないそうです。
 2021年5月現在、直系店舗とされているのは、杉田家(津村 進、神奈川県横浜市磯子区新杉田)、はじめ家(小沢 肇、富山県魚津市)、上越家(石平 哲也、新潟県上越市)、厚木家(吉村 政紀、神奈川県厚木市)、高松家(筒井、香川県高松市)の店舗だけです。ちなみに厚木家の吉村政紀氏は、吉村実氏の次男で、長男は現在、吉村家を継いでいるそうです。



・家系総本山 吉村家
 住所:神奈川県横浜市西区岡野1-6-31
 TEL:045-322-9988
 営業時間:11:00〜22:00
 定休日:月曜日、年末年始
 駐車場:無
 アクセス::JR、横浜駅から徒歩約6分
 カード:不可
 席数:30席
 オープン日:1974年9月