羊羹のお話

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更新日:
 2009年12月2日


◎羊羹(2009年12月2日)
 羊羹(ようかん)は、小豆を主体とした餡を寒天で固めた和菓子ですが、何故、菓子とは思えない漢字で書かれているのでしょうか。
 羊羹は、もともとは中国の料理で、「羊」の「羹(あつもの)」だったそうです。「羹」とは「羹に懲りて膾(なます)を吹く(「羹の熱いのに懲りて、冷たい膾をも吹いて食う」ということから、「一度失敗したのに懲りて、無益な用心をする」という意味)という故事成語にもあるように、「野菜や肉などを入れて作った熱い汁物のことです。
 すなわち、もともと「羊羹」とは「羊の肉を使った熱い汁物」の意味で、「煮たヒツジ肉を小さく切って、筍などの野菜と一緒に煮込み、餡をかけた料理」だったようです。
 羊羹は、鎌倉時代から室町時代の頃、禅僧によって中国から日本に伝えられたようです。しかし日本の禅宗では、肉食が戒律(五戒)によって禁じられていたため、小豆、大豆などの豆類、米や麦などの穀物、葛などを練って、魚や羊などの肉に見立てて成形した、いわゆる精進の見立て料理になったようです。
 この羊羹が、茶の発展と共に、小豆などで作った羹から汁が省かれて甘味が加わり、序々に茶菓子に変化していったようです。室町時代後期には、茶席の菓子として「羊羹」が登場しており、天皇や公家への献上品としても珍重されていたようです。この頃の羊羹は、小豆を小麦粉または、葛粉と混ぜて作る蒸し羊羹だったようです。
 1589年(天正17年)、和歌山の駿河屋岡本善右衛門が餡に寒天を加え、棹状に固めた「煉羊羹」を作ったようです。これによって、もともとの「羊羹」とは全く異なる形状の日本独自の菓子である「羊羹」が誕生したのだそうです。
 江戸時代の初期は、砂糖が貴重品であったため、一般的な羊羹には甘葛が用いられていたようです。このため砂糖を使用した羊羹は、特別に「砂糖羊羹」と呼んで区別していたようです。17世紀以後、琉球王国や奄美諸島などで黒砂糖の生産が開始され、薩摩藩によって日本本土に持ち込まれると、砂糖羊羹が一般的になり、甘葛を用いた普通の「羊羹」は廃れていったそうです。