寿司のお話

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更新日:
 2010年7月25日


◎寿司(2010年7月25日)
 寿司は、世界中で有名な日本料理です。「寿司」、「すし」、「鮨」、「寿し」など、いろいろな表記がありますが、主に魚介類と酢飯を組み合わせた日本料理です。寿司には、酢飯の上に具材を載せて握った握り寿司の他に、ちらし寿司、押し寿司や巻き寿司など、色々な種類があります。
 「すし」の語源は、江戸時代中期に貝原益軒が記した「日本釈名」(元禄12年(1699)成立、翌年刊行)や、新井白石が記した『東雅』(享保2年(1717)成立)に記載されている、「その味が酸っぱいから「酸し(すし)」である」とした説が有力とされています。
 「すし」に関する記録は古くからあり、奈良時代の文献に載っているそうです。この頃のすしには、「鮓」という字が当てられ、魚貝類を塩漬けにして発酵させた料理を指していたようです。発酵させる事によって自然に酸味が生じて味が良くなり、保存も効くようになります。魚の漬物のようなもので、保存食として食べられていたようです。
 この古代のすしは、熟成させるのに2~3ヶ月もかかっていたようです。その後、平安時代の頃、米を加えて熟成を早める方法が考えられ、甘酢で味付けした米飯に開いた生魚を載せて一晩寝かせたすしが作られるようになったようです。米飯を一緒に漬ける事で、米飯に含まれるデンプンなどの働きによって発酵が早くなり、味も良くなるという効果がありました。この頃は、米飯は発酵のためだけに用いられていて、食べるのは魚貝類の部分だけだったようです。
 このような寿司は、現在でも近江地方に伝わる鮒ずし(ふなずし)、ハタハタの漬け込みずし、サバのイズシなどに受け継がれています。このように、魚介類に米を加えて乳酸発酵させた寿司は、「なれ鮨(なれずし)」と呼ばれています。
 一方、にぎり寿司が生まれたのは、江戸時代末期(19世紀初め)頃の江戸のようです。握りずしの考案者は、両国の「與兵衛鮓(よへいずし)」の華屋與兵衛とも、安宅の「砂子鮨(いさごずし)」の堺屋松五郎とも言われており、明確な資料はないようです。しかし、文政12年(1829年)に発表された「柳多留」に「妖術という身で握るすしの飯」(1827年作句)という俳句が載っていることから、1827年には一般的に知られていたと考えられます。
 與兵衛のひ孫、小泉清三郎「家庭鮓のつけかた」に、與兵衛の孫、文久子「またぬ青葉」の引用があり、その要約は「以前にも握りずしを試みた者はいたが、握った後に笹で仕切って箱に詰め数時間押しをかけるすしで、翁(初代與兵衛)は押しをかけることを嫌い、握ることのみで製する「握早漬」を創った」とのことだそうです。與兵衛が「握早漬(握りずし)」を売り出した年は、諸説ありますが、文政7年(1824年)頃だとされています。
 一方の堺屋松五郎の方は、喜多村信節が文政13年(1830年)にまとめた随筆、「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」に「文化(1804~1817年)の初め頃、深川六軒ぼりに、松がすしが出来て、世上すしの風一変し」との記載があるそうです。この記述から、それまでの上方風のすし(なれずし)が中心だった寿司が、握りずしに「一変した」と読み取ることを根拠とするようです。
 この「松が鮓(まつがすし)」は、松浦静山の随筆、「甲子夜話(かっしやわ)」(文政4年(1821年)~天保12年(1841年)まで)にも記載があるそうです。「近頃、大川の東、安宅に、松鮓と呼ぶ新製あり。松とは販(う)る人の名なり。此佳味、一時、最賞用す。この鮓の価、殊に貴く、その量、五寸の器、二重に盛て、橢金3円(小判3両)に換ふとぞ。これを制するもの、鮓、成て、これを試食し、その味、意に適はざれば、輙(すなわち)、棄てて顧みずと云。この如く貴価の品、今に行はるるも、亦、世風を観るべし」との記述で、「松が鮓(まつがすし)」が非常に高価な寿司であったとの記述です。このため先ほどの文献も、「早ずし(握りずし)に一変した」とは記述されていないことから、「普通に食べらていたすしが、高級料理として一変した」と読むこともできるようで、松五郎が握りずしを考案したかどうかは分からないようです。
 この「松が鮓(まつがすし)」は、「松鮨」とも、「松之鮨(まつのずし)」とも言われたようですが、これは「安宅の松」と、主人の名、堺屋松五郎にちなんだ通称であって、本来の屋号は「砂子鮨(いさごずし)」なのだそうです。ただ、後に屋号の方も「松之鮨」と改めたとのことです。
 このほかにも、江戸時代中期の延宝年間(1673~1680年)に江戸の四ツ谷に住んでいた幕府の御典医である松本善甫が握りずしの考案者だとする説などがありますが、いずれにしても、握りずしは文政年間(1818~1831年)には完成されていたようです。
 この「握りずし」は、「なれずし」とは異なり、すぐに食べられる事から「はやずし」とも呼ばれ、江戸中で流行したようです。当時は、屋台料理として庶民に広まって行ったようです。また、このにぎり寿司は、東京湾(江戸の前)でとれる魚介、海苔を使うことから「江戸前寿司」と呼ばれるようになったようです。
 この握りずしは江戸だけでなく全国に広がっていき、天保(1831~1845年)には、名古屋にも江戸風のすし店が開店したそうです。また、箱寿司が主体であった大坂でも、1892年(明治25年)には、ほとんどの店が握り寿司に変わったとの記録が残されているそうです。

 寿司に関連した言葉として、寿司職人の間で使われる符牒(仲間だけに通用する言葉や印。合言葉。)があります。もともとは、客が使用する言葉ではありませんが、トロ、ガリのように、すでに一般名詞化した符丁もあります。全国共通ではなく、一部地域では通用しない用語もあるようです。以下にいくつかを紹介します。

・あがり:お茶
 「あがり」は、元々、遊郭の言葉で「上がり花(あがりばな)」の略だそうです。遊郭では、御客がお店に上がったところで、お茶を出したのだそうです。このお茶のことを、「上がり花」と呼んでいたのだそうです。
 遊女は客がつかない時、茶臼で葉茶を挽く仕事をさせられたところから、「芸者や遊女などが、客がなく暇でいる状態」を「お茶挽き(お茶を挽く)」と言うようになったそうです。このため遊郭では「お茶」を忌み嫌い、「客が上がる(来る)ように」という縁起を担いで、「お茶」のことを「あがり花」と言うようになったそうです。
 こういう説明が多いのですが、何故、もともとの言葉には「花」がついていたのかが分かりません。新版国語辞典(監修、久松潜一、林大、阪倉篤義、講談社学術文庫)によると「上がり花」の意味は、「煎じ立ての茶。出花。」とあります。これなら、「花=はな(初っ端の「はな」)」という意味で、「煎じ立て=花」ということになり、「上がり=お茶」になりそうな気がしますが、「お茶=上がり花」のようです。ちなみに、この事典には「上がり」の意味は、「上がり花の略」と説明されています。
 「花」という言葉自体に「心付け」とか「祝儀」と言う意味があり、縁起が良いということで、花柳界では好まれた言葉のようです。このため、「上がり」と言う言葉に「花」をつけたのでしょうか。どうも、もともとの言葉の語源が分かりません。

・カッパ:キュウリ
 河童の好物が「キュウリ」であるため、キュウリのことを「カッパ」と言うようになったそうです。このため、キュウリを芯にした海苔巻きは、「カッパ巻き」と呼ばれています。

・ガリ:生姜の甘酢漬け
 噛んだ時や、削る時にガリガリというので「ガリ」と呼ばれるようになりました。ガリは魚の臭みを消すため、口直しになります。また、殺菌作用があるため、食中毒を防ぐことを期待されています。さらに、辛味成分である「ジンゲロール」によって、食欲増進や生魚で冷えた体を温める効果があります。
 ショウガの外側の皮を剥いて薄くおろしたものに、60℃~70℃くらいのお湯をかけます。これを「湯ぶり」と言うそうです。湯ぶりしたショウガを、すぐ冷水にくぐらせ、アクを抜いて、酢2、砂糖1、塩少々の甘酢に漬けると、「ガリ」の完成だそうです。

・きづ:かんぴょう
 京都の木津が干瓢の産地として有名だったことから。

・ギョク:玉子焼き、出汁巻き玉子
 「玉」という漢字の音読みが語源のようです。

・クサ:海苔
 江戸前寿司では、「浅草海苔」をよく使っていたため、「浅草」を省略して「草」になったようです。

・グンカン(軍艦):酢飯を海苔で巻き、その上に寿司種を乗せた寿司。軍艦巻(ぐんかんまき)。
 軍艦巻きの名は、横から見た姿が軍艦に似ていることから付けられたそうです。軍艦巻きを考案したのは、昭和16年(1941年)、東京銀座の高級寿司店「久兵衛」の主人だそうです。常連客の「イクラの寿司が食べたい」という要望に応えるために考えられたといわれています。ウニやイクラなど、散りやすい寿司種に使われる巻き方で、現在ではいろいろな種類があります。

・サビ:ワサビ
 「ワサビ」を省略した言い方。

・シャリ:酢飯
 「シャリ」とは、「舎利」と書き、もともとは仏教語だそうです。語源は「遺骨」、「死骸」、「身体」を意味するサンスクリット語の「sarira」なのだそうです。米粒の色や形が、火葬した後に残った粒状の骨に似ているため、米のことを「舎利」と呼ぶようになったそうです

・ツメ:アナゴの煮汁に、同量の醤油とミリンを加えて煮詰めたもの
 「ツメ」とは穴子やシャコ、煮蛤などのニギリに塗るタレの事です。このタレは、何回か穴子を煮た煮汁に水と酒、穴子の骨を焼いたものをさらに入れて、あくを取りながら20分ほど煮た後、一旦、濾します。そして砂糖、醤油、みりんを加えていったん煮立て、それから超とろ火で丸一日かけて煮詰めていきます。
 「ツメ」という名前は、この「煮詰める」からきています。「煮詰める」から、「ニツメ」と呼ばれ、さらに「ツメ」になったようです。煮詰める仕事は、少しでも沸いてしまうと焦げ臭さが出てしまうため、目が離せない重要な仕事なのだそうです。ツメには穴子の旨みが凝縮されていて、これを塗ることによって、穴子がさらに美味しくなるという訳なのです。

・鉄火巻:マグロの赤身を芯にした海苔巻き
 鉄火巻きの「鉄火」は、もともと、「真っ赤に熱した鉄」を指す言葉です。マグロの赤い色とワサビの辛さを「鉄火」に喩えたもので、この「鉄火」を巻き寿司にしたことから、「鉄火巻」と呼ばれるようになったようです。これは、気質の荒々しい者のことを「鉄火肌」や、「鉄火者」と言うのと全く同じ語源であると考えられます。
 賭博場を意味する「鉄火場」に由来し、「手に酢飯が付かず、鉄火場で博打をしながらでも手軽に食べられる」ことから、「鉄火巻」と言ったという説が流布されていますが、他にも「鉄火」の付く食べ物として「鉄火丼」や「鉄火味噌」があり、これらが同じように「鉄火場」で食べられたとするには無理があることから、この説には後付けだと思われます。いずれの「鉄火」がつく食べ物には、「赤い色」と「辛さ」だけが共通であり、「鉄火場」も「手軽さ」も関係がないため、鉄火場からきたとする説は間違いだと考えられます。

・トロ:マグロの腹身で、一番脂が乗った部分
 トロは、脂肪分を多く含んでいて、食べると舌の上でトロッとして、とろけるような感触があることから、こう呼ばれるようになったようです。
 この部位が「トロ」と呼ばれ始めたのは大正時代で、「トロ」の呼称が定着する以前は、「脂身」なので「アブ」と呼ばれていたそうです。
 トロが好んで食べられるようになったのは、明治時代以降のことです。江戸時代には、赤身が上等な部位と考えられていました。トロが注目されるようになったのは、保存や輸送の技術が向上し、食の欧米化が進んで、脂分の多い食べ物が好まれるようになった戦後からのようです。
 トロは、脂の乗り具合で「大トロ」、「中トロ」などと分類されています。

・ナミダ:ワサビ
 ワサビが効くと、鼻につんとくる辛さで涙が出ることから「ナミダ」と呼ばれるようになりました。

・ネタ:酢飯や海苔、カンピョウなどを除く寿司の食材
 「種(たね)」の逆さ読み。

・バラン、ハラン(馬蘭、葉蘭):仕切りや飾り付けに用いられる植物の葉
 寿司を並べた時、仕切りや飾り付けに用いられる植物の葉で、もともと関西では、ユリ科の常緑多年草であるハラン(葉蘭:Aspidistra elatior)を使用していたそうです。単に葉を使うだけでなく、包丁などで切り込みを入れ、様々な形に飾り付けていたようです。関東では、熊笹を使ったものが一般的で、「切り笹」と呼ばれているそうです。どちらも殺菌、防腐作用があるようです。
 最近では、緑色のプラスチック製が増えています。これはハランを真似て作ったプラスチック製のもので、当初、これを「人造ハラン」と呼んだようです。「人造(じんぞう)」という単語の後に「ハラン」がつくため、読み方としては濁音がつき、「人造バラン」と呼ばれるようになり、その後、さらに「人造」が省略され、現在では、「バラン」と呼ばれるようになったようです。

・ムラサキ:醤油
 「ムラサキ」が醤油のことであるのは間違いないのですが、その由来には諸説があるようです。最も有名な説は、その色が「紫色」であるから、「ムラサキ」とするというものですが、どう見ても私には紫色には見えません。紫というよりは、黒に近いのではないのでしょうか。個人的には、全然、納得できない説です。
 この紫色には、「醤油が高価であったため、高貴な色である紫を当てた」と言う説があります。江戸時代の用油は、塩の8倍、米の3倍、酒と同程度であったそうです。調味料としては、破格に高く、その値段の高さから、高貴な色である「紫色」にあやかり、「ムラサキ」と呼ばれるようになったとするのは、単に「色」が紫というよりは、まだ、マシだと思えますが、まだ無理があるように思います。
 さらには、醤油の商品名が、土浦から見える「紫峰筑波(筑波山のこと)」であったため、その「紫」が語源というのは、私としては、とても信用できるものではありません。こじつけにも程があると言った感じです。同じような説で、土浦の「むらさき山」で作っていた醤油が評判になり、「醤油といえばむらさき山に限る」ということから「むらさき」になったと言うのは、冗談としても笑えないような話です。

・ムラチョコ:醤油皿
 ムラサキ(醤油)の御猪口(オチョコ)ということで、「ムラチョコ」となったようです。