草加せんべい

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更新日:
 2014年12月3日


◎草加せんべい(2014年7月6日)
 草加煎餅(そうかせんべい)は日本の煎餅で、埼玉県草加市の名産品です。また、2007年(平成19年)6月8日に、草加煎餅協同組合・草加地区手焼煎餅協同組合の地域団体商標(商標登録:5053366号、草加市及びその周辺で生産されたせんべい)として登録されました。
 せんべいの起源は古く、千数百年前といわれているそうです。元来、日本では糯(もち)、うるちを問わず、米を蒸したものを「飯」と呼び、常食としていました。これを搗きつぶしたものをもち(餅)といいました。餅には生餅と、乾餅(ほしもち)があり、乾餅は別名「堅餅(かたもち)」とも呼ばれて、焼いて食べる保存食として重宝がられていました。
 そのため、戦陣に携行する兵糧でもありました。後世、この中に豆や胡麻をついて入れたり、塩味をつける製法が好まれました。これが「塩堅餅」で、これを焼いたものが後の「塩せんべい」で、草加せんべいの源流となっています。
 草加せんべいは本来この「塩せんべい」ですが、江戸時代、利根川沿岸で醤油が造られるようになると、焼せんべいに醤油を塗るようになりました。草加では、専ら、この醤油せんべいが売れたので、従来の塩せんべいは醤油せんべいに代わりましたが、名前は古くからの塩せんべいと言われつづけてきました。
 このように醤油塗りの焼きせんべいが日光街道「草加」の名物になった理由は、良質の米が獲れ、また良質の水と良質の醤油が身近にあったためといわれ、さらに永い伝統により熟練された製造方法で造られ、長い日光街道の間食としても好まれ、値段も手ごろで軽量であったことによるものと考えられています。
 「江戸時代、草加宿で「おせん」という女性が旅人を相手に団子を売っていた。おせんは、売れ残りの団子を捨てなければならないことに悩んでいたが、ある日、茶屋を訪れた侍が「潰して天日で乾かし、焼き餅として売ればいい」といったため、この助言を基におせんが焼き餅を売ったところ、評判になり街道名物になった。」という話がりますが、これは昭和時代に創作された物語だそうです。実際は、保存用にコメを団子状にして乾かしたものを茶屋などで販売したところ、自然と普及していったようです。
 1913年(大正2年)に旧陸軍が川越で大演習を行った際、県の名産品として天皇陛下に献上されたことを機に、全国に「草加せんべい」の名が広まったそうです。
 草加せんべいの基準は下記だそうです。
①製造地:草加・八潮・川口・越谷・鳩ケ谷で製造(鳩ヶ谷市は2011年(平成23年)10月11日に川口市と合併しています。)
②材料:関東近県で収穫された良質のうるち米
③製造:最低10年の経験を持つ職人が製造を管理
④焼き方:押し瓦での型焼き又は押し瓦方式を取り入れた堅焼き