ひもかわ、ひもかわうどん

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更新日:
 2021年9月24日



◎ひもかわ(2021年9月23日)
 「ひもかわ」または、「ひもかわうどん」とは、幅が広くて薄い麺のことで、これを使った麺料理も含みます。一般的なうどんとは形が異なり、麺が平たいことから「平打ちうどん(ひらうちうどん)」とも呼ばれます。麺の幅は5mm程度から15cmを超えるものまで、様々なタイプがあります。
 関東地方では群馬県桐生地域の郷土料理とされています。群馬県では、各地でうどんが食べられており、有名な産地として館林、桐生、水沢があり、「群馬三大うどん」として知られています。そのような中、群馬県桐生地方では幅広麺のうどんが広まり、「ひもかわ」として地元の人に愛されています。
 桐生地方で「ひもかわ」が広まった理由として、重要な産業である「織物」に関係しているようです。桐生の織物の歴史は、奈良時代まで遡るそうです。「続日本紀」に713年(和銅6年)に上野の税(調)は以後絁(あしぎぬ:絹織物の一種)と定め、翌714年(和銅7年)にこれを納めたと記載されているそうです。この時代から、桐生地方では織物産業が盛んだったようです。江戸時代には天領とされ、多くの絹織物を生産しており、明治以降には機械なども導入し、日本の基幹産業として発展し、外貨獲得に貢献したようです。
 この織物工場で働く女性たちの間で人気になったのが「ひもかわ」だとされています。ひもかわうどんは薄く伸ばして幅が広く切ってあるため、通常のうどんに比べて茹で時間が短いのですぐに提供でき、忙しい女性達に好まれていたようです。
 この幅広のうどんが「ひもかわうどん」と呼ばれるようになった理由にはいくつかの説があり、はっきりしていないようです。「帯が川で洗われる様子に似ていることから名付けられた」という説もあれば、愛知県刈谷市の名物だった「芋川うどん」の名前が変化し、「いもかわ」になったとの説もあります。國學院大學の加藤有次氏は「江戸時代、東海道・芋川(愛知県刈谷市)名物だった「平打ちうどん」が「ひもかわ」のルーツだとする説を唱えています。芋川で作られていた平らなうどんは「芋川(いもかわ)うどん」と呼ばれ、江戸時代初期から同地の名物として知られていたようです。
 江戸時代前期の1659年(万治2年)頃、浅井了意によって著された江戸から宇治までの東海道の社仏閣名所旧跡を訪ねながら旅する名所記である「東海道名所記」には、三河(三河国)芋川の名物だと書かれているそうです。
 1830年(文政13年)に喜多村信節が江戸時代後期の風俗習慣、歌舞音曲などについて書いた随筆である「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」には、「江戸で言う「ひもかわうどん」の起源か?」と記されているそうです。
 喜田川守貞(きたがわ もりさだ)が1837年(天保8年)から江戸時代後期の三都(江戸・京都・大阪)の風俗、事物を説明して約30年間、書き続け、全35巻となった「守貞謾稿(もりさだまんこう、守貞漫稿)」には、「江戸では「ひもかわ」と呼ばれていたが、「ひもかわ」は「芋川」の訛りで、名古屋では「きしめん」と呼ばれている」と記載されているそうです。
 現在、「芋川」という地名は残っておらず、その発祥の地としては、愛知県刈谷市の今川町(いも川(芋川)が転訛して今川という地名になったとされている)、愛知県刈谷市の今岡町(洞隣寺の北側には「いもかわうどん」発祥の地の碑が建てられている)、愛知県刈谷市の一里山町などが候補とされているそうですが、いずれにしても愛知県刈谷市近郊です。
 日本農林規格(JAS)ではうどんの一種とされ、乾麺については「乾めん類品質表示基準」に「幅を4.5mm以上とし、かつ、厚さを2.0mm未満の帯状に成形したものにあっては「干しひらめん」、「ひらめん」、「きしめん」又は「ひもかわ」と記載することができる。」と分類されています。生麺、茹で麺等(半生、冷凍麺等も含む)については、製麺法を問わず「生めん類の表示に関する公正競争規約」に「きしめん、等一般消費者に誤認されない名称に替えることができる(一部抜粋)」と記載されており、具体的な数値や形状による基準は示されていないため、製造、販売業者によって見た目が薄くて平たい形状の麺を「きしめん」と名付けて分類しています。ただし、名古屋市地域の名産、特産、本場、名物等として「名古屋きしめん」と表示する場合のみ、同規約に記載されている詳細な基準を満たした麺にする必要があります。