笹かまぼこ

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更新日:
 2020年8月10日



◎笹かまぼこ(2020年8月10日)
 「笹かまぼこ」は仙台名産の蒲鉾です。いわゆる板かまぼことは異なり、竹串または金串に刺し、手でたたいて笹の形に成形して焼き上げられています。
 もともと仙台で、このような形の蒲鉾が生まれたのは、明治初期に宮城県沖でヒラメの大漁が続いたことがきっかけだそうです。大量に撮れたヒラメを保存するため、蒲鉾作りが盛んに行われるようになったそうです。
 当時は、おろしたヒラメをすり身にして棒に巻き付け、手でたたいて成型して焼き上げており、現在の笹かまぼこよりも大きかったそうです。その平たく縦長な形から「ベロかまぼこ」、「木の葉かまぼこ」、「手のひらかまぼこ」、「笹かまぼこ」などと呼ばれており、統一した呼び名はなかったそうです。
 そんな中、「仙台名産・笹かまぼこ」という名前を付けたのは、株式会社阿部蒲鉾店の創業者である阿部秀雄氏だそうです。
 阿部秀雄氏は蒲鉾屋さんで修業をしており、1935年(昭和10年)10月10日に独立して宮城県仙台市新伝馬町(現、仙台市青葉区)に「阿部蒲鉾店」を立ち上げ、蒲鉾の製造、販売を始めたそうです。当時の蒲鉾は、婚礼の引出物、祝儀用の料理、すし屋、蕎麦屋などの業務用での利用が主だったそうです。阿部秀雄氏は独立する際、師匠の蒲鉾屋と競合にならないよう、当時、まだマイナーだった「笹かまぼこ」に主力を置くこととし、また師匠の店から離れた場所に店を出したそうです。
 阿部秀雄氏は、当時、様々な呼び名があった中から、「笹かまぼこ」という名称を選んだそうです。それは、「笹」は伊達家の紋「竹に雀」につながることから、「仙台名産」として最適だと考えたそうです。また、他の店ではヒラメやスズキなどを材料として蒲鉾を作って5銭で売っていたようですが、阿部蒲鉾店は原料をヒラメだけに限定し、10銭で売り出したそうです。他社との差別化を図り、かつ鮮度の良い材料を買い付ける、業界では初となる新聞紙上に広告を載せるなどの戦略で「仙台名産・笹かまぼこ」の名前が全国的に知られるようになっていったそうです。創業5~6年目で、古くからあった蒲鉾屋を追い越し、市内で1番の売り上げを誇るようになっていたそうです。
 その後、戦争がはじまり、原料や副資材が不足するようになっていったそうです。1945年(昭和20年)7月には仙台大空襲があり、「阿部蒲鉾店」も全焼したそうです。終戦後、工場の再建は早かったそうですが、統制経済が続いており、原料や木炭の入手が困難だったそうです。これをきっかけに阿部秀雄氏は「電熱」を利用した「自動笹焼機」の開発に着手し、1948年(昭和23年)に完成したそうです。当時、かまぼこ製造において「焼き」の工程が非常に難しく、ベテランの職人しかできなかったそうです。これを自動化させ、誰でも製造できるようになったことから、大量生産、大量販売につながりました。しかも、阿部秀雄氏は業界発展のために特許を取らず、装置も同業者に公開、販売したそうです。このため仙台市内では、この装置を使った笹かまぼこの製造業者が増えていったそうです。このようなこともあり、しだいに名称が統一され、「笹かまぼこ」という名前が定着していったようです。
 現在では仙台の名産品として認知されていますが、昭和30年(1955年)頃まではマイナーな商品だったそうです。酒の肴にも、おやつにも、御飯のおかずにも食べられる笹蒲鉾ですが、日持ちが悪く、販路が広がらなかったそうです。
 昭和30年代後半になって真空包装技術が開発されて日持ちがするようになったこと、冷蔵設備・冷蔵輸送の発展によって商品管理が飛躍的に向上したことが追い風となり、高度経済成期の出張、旅行のお土産需要が増えていったそうです。さらに1982年(昭和57年)の東北新幹線の開通とともに、全国に広がっていったそうです。