魚肉ソーセージ

メニュー

TOPページ 

観光地 

地域情報 

日本のホテル 

日本のニュース 

日本について 

美味しいもの 

海外事情 

海外のホテル 

食品の話 

雑学 

用語辞典 

リンク 


更新日:
 2018年12月3日


◎魚肉ソーセージ(2018年11月10日)
 魚肉ソーセージは魚肉練り製品の一種です。JASの規格では、普通魚肉ソーセージと特種魚肉ソーセージに分類されますが、一般的には普通魚肉ソーセージのことを指します。魚肉のすり身をケーシングに入れ加熱した、ソーセージに似た加工食品です。フィッシュソーセージとも言います。JASの規格では、魚肉及び鯨肉の原材料に占める重量の割合が50%以上のものを「魚肉ソーセージ」としており、15%未満の「ソーセージ」や15%以上50%未満の「混合ソーセージ」と区別されています。
 一般的に、スケトウダラなどの冷凍すり身50~60%に豚脂、調味料と香辛料を混ぜ、練り合わせたものをケーシングし、レトルト殺菌釜で高圧高温殺菌を行うと完成。必要に応じてデンプン、植物性タンパク、卵白などの結着剤、および酸化防止剤や保存料を加えることもあります。
 特種魚肉ソーセージは、練り合わせた魚肉にチーズ、グリンピース、玉ねぎ、荒挽き肉などの種ものを加えて混ぜ合わせたものをケーシングに詰めて加熱したものです。
 魚肉ソーセージの開発は、大正時代にさかのぼるそうです。1956(昭和31)年刊「魚肉ソーセージ」(清水亘著、全国魚肉ソーセージ協会)によると、大正の初年にはすでに日本各地の水産試験場などで魚肉ソーセージを試作した記録があるそうです。しかし、当時の製法はカマボコのすり身を単純にセロファンの袋に詰めて燻煙、もしくはボイルしただけの簡単なもので、試作の域を脱しなかったようです。
 1935年(昭和10年)頃、農林水産講習所の教授だった清水亘氏がマグロを使ったプレスハム状の「ツナ・ハム」の製造に成功しました。清水は、そのときのことを「蒲鉾の研究中に夏マグロの値下りに着眼し、これを利用してプレス・ハム様製品(ツナ・ハム)を作ってみた。ところがあの不味な夏マグロが不思議に美味化するのに驚かされたのであった。」と書いています。
 その後、東京の小田原町(現在の築地付近)で製造を始めたものの経営に行き詰まり、静岡県焼津市の南興水産株式会社の協力を得て、1938年(昭和13年)、同市に南興食品株式会社を設立し、1940年(昭和15年)から本格的に魚肉ハムの製造を開始した。だが、第2次世界大戦が激化するにつれ、原料が入手できなくなり、営業停止に追い込まれました。戦後、魚肉ハムの製造が再開されるようになると、魚肉ソーセージの開発も進みました。
 1949年(昭和24年)、愛媛県八幡浜市(当時は保内町)の西南開発工業協同組合がアジ類を原料として、初めて魚肉ソーセージの試作に成功しました。この成功には、菅原傳(すがわら・つたえ)氏が大きな力を発揮したそうです。菅原傳氏は1900年(明治33年)に愛媛県八幡浜に生まれ、農業高校を卒業した後、東洋大学文学科に入学し、終戦まで教育畑を歩み、文部省教育研究所に在籍していました。しかし、GHQの教職追放者のリストに入れられたことで、郷里の八幡浜に戻りました。そこで、今後は生活が洋風化すると考え、当時、港に捨てられるほど獲れていたアジを使ってパンに合う食品を作ることを思いついたそうです。そして試行錯誤の末、魚肉ソーセージが誕生しました。
 西南開発工業協同組合は1951年(昭和26年)、西南開発株式会社として創立し、魚肉ソーセージを「スモークミート」の名で商品化しました。翌1952年(昭和27年)には明治屋と契約し、全国発売を開始しました。
 その後、各社の参入があり、少しずつ発展していったようです。1954年(昭和29年)3月1日、南太平洋ビキニ環礁で行われた15 Mtの水爆実験(キャッスル作戦)によって日本の「第五福竜丸」をはじめ多数のマグロ漁船が放射性降下物(いわゆる「死の灰」)を浴び、被曝しました。この風評により、マグロの価格が低下したことから、水産各社はマグロを原料とした魚肉ソーセージの生産に力を入れるようになりました。安価な魚肉ソーセージは、学校給食に納入されるなど、「西の横綱がインスタントラーメンなら、東の横綱は魚肉ソーセージ」と呼ばれた程の大衆食となっていきました。
 1960年(昭和35年)には冷凍すり身が開発され、マグロに代わって原料として利用されるようになりました。1962年(昭和37年)には魚肉ソーセージに関する日本農林規格(JAS規格)が制定されました。
 1972年(昭和47年)には、魚肉ソーセージの国内生産量(魚肉ハムを含む、以下同様)は18万tを超えて、ピークとなりました。
 1974年(昭和49年)には、食品添加物として使用されていた保存料、フリルフラマイド(AF2)に発癌性、催奇性が指摘され、使用禁止となりました。これに伴い、防腐剤の使用を取りやめ、①高温高圧殺菌(高温殺菌製品)、②pH、水分活性を調節し、過熱殺菌(pH調製品、AW調整品)、③防腐剤を使用せず、従前同様の加熱殺菌をして10℃以下で流通保存(低温度流通製品)、の3通りによる製造方法の変更が行われ、現在に至っています。
 その後、メーカー側の開発、販売努力(カルシウムやDHA、ビタミン、コラーゲンといった有用成分の添加、アニメや子供向け特撮ヒーローのキャラクター採用など)や、健康志向(低カロリー、低脂肪、高タンパク化)も手伝って、魚肉ソーセージが見直されるようになりました。
 またBSEや鳥インフルエンザなどで畜肉の安全性に疑問が呈された際には魚肉ソーセージが注目されました。一時は需要が急増してフル生産体制になり、メーカーは当惑したそうです。しかしながら、1977年(昭和52年)の10万8,000トンを最後に、その後は少しずつ減り続け、2000年(平成12年)以降の年間生産量は5~6万トンの間を推移しています。
 2008年(平成20年)には、日本で初めて魚肉ソーセージを販売した西南開発が、当時の製法を限りなく再現した「元祖魚肉ソーセージ」を発売したそうです。これを食べた人によると、「弾力のある肉をかじると、青魚のクセのある風味が広がる。アジを使っているから当たり前なのだが、アジの干物をもろに連想させる。これをソーセージと思って食べていたのかと驚く。」とのことです。こんな感想を聞くと、一度、食べてみたくなりますね。
 現在では豚由来成分を使わないなど、イスラム教のハラル認証を得た魚肉ソーセージも生産されており、今後、世界中に広がっていく可能性を秘めています。