ドリア、ライスグラタン

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更新日:
 2020年11月8日



◎ドリア(Doria)、ライスグラタン(2020年11月4日)
 ドリアは、米を使った料理の1つで、ピラフなど米飯の上にベシャメルソース(ホワイトソース)をかけてオーブンで焼いた料理です。お米が入っているグラタンのような料理で、洋食のように思われますが、実際には日本で生まれた料理です。
 関東大震災後の1927年(昭和2年)に横浜にオープンしたホテル・ニューグランドで初代総料理長を務めたスイス出身のサリー・ワイル(Saly Weil:1897~1976)というフランス料理のシェフが1930年(昭和5年)頃に考案した創作料理だと言われています。
 ワイルはスイスのホテル学校を卒業した後、スイス、オランダ、フランスのレストランを転々としながら料理の腕を磨いたそうです。そして、パリの星付きホテルで料理主任をしている時、各国のホテルを視察していたニューグランドの常務の土井慶吉氏にスカウトされ、30歳で来日しました。以後、20年近くに渡って日本に滞在し、戦後、スイスに帰国しました。
 ワイルは帰国後も、本場で修業をしたいという日本の若き料理人志望者の世話をし、日本とヨーロッパの懸け橋となり、人材育成に一役、買ったそうです。その結果、このような料理人達から「スイス・パパ」との愛称で親しまれ、1973年(昭和48年)には勲五等瑞宝章を受章しています。
 ワイルが日本に伝えたのは、料理の技術だけではなく、料理の提供の仕方など、様々なことでした。ニューグランドの開業当時、日本のフランス料理店ではコース料理しか注文できませんでした。また、厳格なドレスコードやテーブルマナーがあり、食事中は禁煙で、食後にスモーキングルームに移動して煙草を吸ったり、コーヒーを飲むという非常に堅苦しいものだったそうです。
 そこでワイルは、「ダイニングルーム」とは別に「グリルルーム」を用意し、気軽に食事を楽しめるようにしました。アラカルト(一品料理)を導入し、メニューには「此のメニュー以外の如何なる料理にても御用命に応じます」と明記し、客の要望に柔軟に対応しました。客はコートを着ていても、タバコを吸っても、お酒だけ飲んでも良し、という自由に食事を味わえる空間を作り上げたそうです。
 さらにワイルは、積極的に厨房から客席に出て行き、料理の感想を聞いて回ったり、スタッフの動きをチェックしたりしていました。グリルルームにピアノを入れ、フィリピンからバンドを呼んで、食事中に生演奏を楽しめるようにしたこともあったそうです。このようなワイル流の飾らないもてなし方は、瞬く間に他のホテルにも広まり、日本における西洋料理のハードルを下げ、その味を広めるのに貢献したそうです。
 そんな中、ドリアが誕生したのは、客の要望がきっかけだったそうです。この時のいきさつは、ホテルニューグランドの4代目総料理長である高橋清一氏の著書「横浜流 ― すべてはここから始まった」(東京新聞出版局、2005年)に、以下のように書かれています。「ある日、当ホテルに宿泊をしていたある銀行家が体調を崩し、料理長に何か喉に通りのよいものを作って欲しいとリクエストしました。彼は即興で、当時、20銭で売られていたタンバル皿(日本風に言うとグラタン皿、太鼓形の器)に盛られたライスの上に、当時流行っていた小海老のクリーム煮を乗せ、グラタンソースをかけ、焼き上げてお出ししました。」これが、最初のドリアなのだそうです。すなわち、喉の通りがよく、消化の良い食べ物、そう考えてワイルが作りだしたのが、後に名物となるシーフードドリアだったということです。
 この料理は好評となり、ニューグランドの定番メニューになったようです。1934年(昭和9年)11月14日の東京ニューグランド(横浜ニューグランドの支店)のア・ラ・カルトメニューには、魚料理のところに「Shrimp Doria(芝海老と御飯の混合)」という料理があるそうです。(「メニューに視る食文化」、早坂勝、調栄社、P.74)ただ、疑問は料理名です。何故、この料理が「ドリア」と名付けられたのでしょうか。そのヒントはワイルが当然、知っていたと考えられるフランスの古典料理に「ドリア」に似た料理があることだそうです。
 それは、「タンバル皿(日本風に言うとグラタン皿)にリゾットを敷き、手鍋でマッシュルームをバターでソテーし、薄切りにしたオマール海老、牡蠣、ムール貝、トリュフを合わせ、クリームソースで合えてリゾットの上に乗せ、全体にソース・モルネ(グラタンソース)をかけ、チーズを振ってオーブンで焼く」という料理です。この料理は、オーギュスト・エスコフィエ(Georges Auguste Escoffier、1846年10月28日~1935年2月12日)という料理人が1903年に書いた「Le Guide Culinaire"Le Guide Culinaire」という料理書や、1912年にエスコフィエの弟子であるルイ・ソールニエ(Louis Saulnier)が書いた「Le repertoire de la cuisine」(日本では「フランス料理総覧」として知られる有名な料理書)にも掲載されている「Homard Tourville(オマール海老のトゥールヴィル風)」というフランスの古典料理です。この「Tourville(トゥールヴィル風)」の「Tourville(トゥールヴィル)」とは、17世紀、ブルボン朝時代に活躍した有名なフランスの海軍提督、トゥールヴィル伯爵(アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン:Anne Hilarion de Costentin, comte de Tourville, 1642年~1701年5月23日)のことを指しています。
 ワイルは、この「Homard Tourville(オマール海老のトゥールヴィル風)」という料理を応用して喉の通りがよく、消化の良い食べ物を作った時、オリジナルと同じ海軍提督であるジャナンドレア・ドーリア(Gianandrea Doria、1539年~1606年2月2日、もしくはジョバンニ・アンドレア・ドーリア(Giovanni Andrea Doria))というジェノヴァ人の海軍提督の名前をとって、「ドリア」と名付けたのではないか、と考えられています。
 ワイル氏の補佐をしていた荒田勇作氏が1964年に出版した「荒田西洋料理」という料理書には、ドリアの意味を「海将風」と書いているそうです。「海将」ということは料理のイメージとして説明していたと考えられることから、ドリアの名前が「ジャナンドレア・ドーリア(Gianandrea Doria)」氏に由来していることは間違いないようです。
 この料理は、お米を使った美味しい料理ということで日本人とって非常に好評となり、もともとの小海老のクリーム煮(今で言うシーフードドリア)以外にも、鶏肉を入れたチキンドリア、牛肉を使ったビーフドリア、カレーを使ったカレードリアなど、現在では日本人の得意なアレンジによって様々なドリアが生まれています。さらに、その見た目からグラタンと混同され、「ライスグラタン」と呼ばれることもあります。
 ちなみに、ホテルニューグランドの本館1階にある「ザ・カフェ」では、今も当時のままのドリアが味わえるそうです。そのシーフードドリアは、少し黄味がかっており、ふつふつと煮えているソースの中に、大きめのエビやホタテがゴロゴロしているそうです。普通のホワイトソースは、少しボテッとしている感じですが、粘り気が全くなく、まろやかなソースが御飯によく絡み、弱った胃腸にも良さそうな料理だそうです。一度、元祖のドリアを食べてみたいものですね。