きつね丼、信太丼、信田丼

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更新日:
 2022年5月29日



◎きつね丼、信太丼、信田丼(2022年5月29日)
 「きつね丼」は、関西では一般的な丼料理で、甘く煮た油揚げを細切りにして青ねぎ一緒に玉子でとじた丼です。お店によっては玉子でとじないようですが、いずれの場合も「きつね丼」と呼ばれています。
 京都には「きつね丼」とよく似た「衣笠丼」という食べ物があります。玉子でとじるパターンの「きつね丼」と同じなので、「きつね丼」の京都での独自の呼び方とする説明もあるようですが、京都では玉子でとじられているものを「衣笠丼」、玉子でとじていないものを「きつね丼」と区別しているお店もあるようです。
 お店によっては「きつね丼」のことを「信田丼(しのだどん)」、あるいは「信太丼(しのだどん)」と称するところもあるそうです。大阪府和泉市葛の葉町にあった「信太の森(しのだのもり)」に伝わる「葛の葉ぎつね(狐)」の伝説に由来するそうです。それは、以下のような伝説です。
 村上天皇の時代(10世紀)、摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けたものの、狩人達によって自分が傷を負わされてしまったそうです。傷で苦しんでいる保名のもとに「葛の葉」という女性がやってきて、保名を介抱し、家まで送り届けてくれました。葛の葉が保名を看病するうち、二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうけました。童子丸が5歳の秋の日、葛の葉は庭に咲く美しい菊に心を奪われ、自分が狐であることをつい忘れ、うっかりしっぽを出してしまい、その姿を童子に見られ、正体がバレてしまいました。葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知られると葛の葉は、全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、「恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森のうらみ 葛の葉」という詩を残して信太の森に帰ったそうです。そして、この童子丸が、後に陰陽師として知られる安倍晴明である、というものです。
 安倍晴明は実在した人物ですが、1005年10月31日(寛弘2年9月26日)に亡くなってから、神秘化され、様々な伝説が伝承されていったようです。1662年(寛文2年)には仮名草子「安倍晴明物語」が作られるなど、かなり時間が経ってから創造された物語が多いと考えられます。その中で、浄瑠璃の「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」の「葛の葉 子別れ」の段があり、上述した狐の葛の葉が詠む歌が有名になっていきました。しかしながら詠み人、出典ともに不明だそうです。
 この「葛の葉」は「信太妻(しのだづま)」とも呼ばれるようになります。そして「きつね = 信田」となり、きつねは油揚げが好物、という民間伝承から油揚げを使った料理は「きつね」と呼ばれるようになりましたが、同じく「信田(しのだ)」と呼ぶ地域もあるそうです。また、漢字は「信田」と「信太」の両方が使われているそうです。結果、「きつね丼」のことを「信太丼」、「信田丼」と呼ぶお店もあるそうです。