どじょうのお話

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更新日:
 2010年8月29日






◎ドジョウ(2010年8月29日)
 ドジョウは、江戸下町の庶民のスタミナ料理として食べられていたようです。泥鰌と言えば江戸という感じがしますが、もともとは、全国各地の稲作地帯で、普通にドジョウを捕って、味噌鍋などにして食べていたようです。戦後、農薬を使った稲作が始まるまでは、どこの田んぼでもドジョウが獲れていたようですが、現在は、利根川水系の関東地方での収穫量が多いようです。
 泥鰌は非常に栄養バランスが良い食材です。昔から「うなぎ1匹、どじょう1匹」と言われていたほどで、泥鰌は、その体の小ささにも関わらず、鰻1匹に近い栄養素を含んでいるそうです。特に骨粗鬆症の予防や神経安定に効果的なカルシウムは、ウナギの約9倍も含まれており、成人1人が1日に必要なカルシウムを、桔梗家(後述)の丸鍋1人前で摂る事ができるのだそうです。また、カルシウムやリンの腸内への吸収を助ける成分であるビタミンDや、鉄分、亜鉛も多く含まれている上、泥鰌の表面のぬめりにはコンドロイチン硫酸が含まれていて、血液をきれいにし、細胞の働きを活発にさせる作用があるそうです。さらに、しみやしわを防ぐコラーゲンも含まれているので、泥鰌はお肌にも良く、美と健康に良い食材であると言えます。
 ドジョウは一年中獲れるので、下町にある有名店ではいつでも美味しい泥鰌鍋が食べられますが、卵を持っている夏場のどじょうが一番美味しいです。泥鰌だけでなく、ドジョウの卵も食べることができるので、夏のドジョウが最高なようです。浅草では「飯田屋」や「駒形どぜう」、深川は「伊せ喜」、両国の「桔梗家」などが老舗の有名店です。
 東京、両国の浅草橋の近くにある桔梗家さんのドジョウ料理を食べました。昭和8年創業とのことで、なかなか伝統のありそうな(昭和8年に作った訳ではないでしょうが)店構えです。ここでドジョウの丸鍋をいただきました。
 「丸鍋」は、ドジョウが丸のまま(そのまま)の形で鍋に入れられます。ネギをたっぷり乗せて、ネギが煮えたら、食べごろなのだそうです。骨が気になるかと思ったら、既にドジョウは骨まで軟らかく下処理されていて、骨も頭も柔らかくて、全く意識することなく丸ごと美味しくいただけました。きっと、下処理の技術がすごいのだろうと思います。また、スープがドジョウに合わせた特別なものだろうと思うのですが、非常にあっさりしていて、どんどん食べられてしまいます。最初に3人前を頼んで、ペロッと食べてしまったので、今度は2人前を追加しました。御好みで、山椒や七味をかけていただきますが、何もかけなくても十分、美味しいです。予想していたような泥臭さなど全くなく、あっさりしていて、いくらでも食べられます。
 他にも「骨抜き鍋」や「柳川鍋」もありました。「骨抜き鍋」は、その名の通り、骨をとったドジョウの鍋で、ドジョウの下にゴボウが敷いてあって、ドジョウとゴボウのコラボレーションにネギのアクセントをつけた美味しさが味わえます。「柳川鍋」は、骨抜きのドジョウを卵でとじた鍋料理です。



  丸鍋です。たっぷりとドジョウが丸ごと入っています。



  ドジョウの上にネギをたっぷりと乗せ、ネギが煮えたら食べごろです。

 ちなみに、ドジョウを「どぜう」と表記するようになったのは、「駒形どぜう」の初代当主、越後屋助七の発案だそうです。駒形どぜうの創業は1801年、徳川11代将軍、家斉公の時代だそうです。初代越後屋助七は武蔵国(現在の埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草の駒形にめし屋を開きました。当時から駒形は、浅草寺にお参りするための参詣ルートのメインストリートであり、また翌年1802年3月18日から浅草寺の御開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したそうです。
 文化3年(1806年)、江戸の大火によって店が類焼した際、越後屋助七は「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと考え、当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらったそうです。これが評判を呼んで店は繁盛したそうです。この話が広がり、江戸末期頃には他の店もこれを真似て、もともとは「どぢやう」、あるいは「どじやう」と書かれていた看板を「どぜう」に書き換えたため、「どぜう」が一般化したそうです。