ジャガイモ

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更新日:
 2017年1月3日


◎ジャガイモ(potato)
 ジャガイモ(馬鈴薯、学名:Solanum tuberosum L.)は、ナス科ナス属の多年草の植物です。南米アンデス中南部山地の原産で高さ約60センチメートルに成長します。地下茎が分枝して、その先にデンプンが蓄えられて芋となる。芋は食用とされる。
 加熱調理して食べられる他に、デンプン原料としても利用されています。比較的保存がきく食材ですが、暗くても温度の高いところに保存すると発芽しやすいため、涼しい場所での保管が望ましいです。芽や緑化した塊茎には毒性成分ポテトグリコアルカロイド(ソラニンなど)が多く含まれ、中毒の元になります。
 ジャガイモは、南米アンデス山脈の高地が原産地といわれています。現在でも3000m以上の高地には、ジャガイモのもとになっている野生種が沢山、残っているそうです。中央アンデス高地では、寒い冬のあいだに、チュノーというジャガイモのミイラをつくっていたそうです。夜は外に出して凍らせて、昼は溶かして、ということを繰り返すと、水が抜けてカラカラになります。このようにして保存ができるようにして、保存食としていたようです。
 このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀頃とされています。しかし、具体的に「いつ」、「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っていないそうです。現在では、スペイン人がジャガイモを持ち帰ったのが1570年頃だとの説が有力となっているようです。
 さらに1600年頃になると、スペインからヨーロッパ諸国に伝播したようですが、この伝播方法にも諸説あり、明確になっていないようです。また、当初は花を楽しむだけのものだったようです。アンデスよりも日が長く、暖かかったため、葉や茎が茂り、芋ができにくかったそうです。
 ヨーロッパにジャガイモが広がった原因として、プロイセン王国で三十年戦争(1618年~1648年)によって荒廃したことがあるそうです。飢饉が頻発したため、国王の勅命で作付け(栽培)が強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少する麦よりも地下に実るため、踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に受け入れられた結果だと考えられています。
 さらにジャガイモは18世紀になると、アイルランド移民の手によって北アメリカに渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となったそうです。
 日本へは伝来には諸説があるようですが、オランダ人やオランダ造船によって1598年に持ち込まれたという説があります。この時、オランダ領ジャワ島の現ジャカルタ(当時、ジャカトラ:Jacatra)を経由して伝来したため、「ジャガタライモ」と呼ばれたとする説が有名です。日本でも、当初は観賞用として栽培されたようです。
 江戸時代後期の18世紀末にはロシア人の影響で北海道、東北地方に移入され、飢饉対策として栽培されました。本格的に導入されたのは明治維新後で、北海道の開拓に利用されたそうです。当初は西洋料理の素材としての需要でしたが、洋食の普及とともに、徐々に日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていったようです。
 現在、日本では北海道が最大の生産地になっており、春に植え付けて夏の終わりから秋にかけて収穫されています。北海道に次ぐ大産地である九州の長崎では、秋に植え付けて冬に収穫するのに加えて、冬に植え付けて春に収穫する二期作が行われています。