来来軒

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更新日:
 2021年12月19日



◎来来軒(2020年8月6日)
 「来来軒」という中華料理屋さんは、たくさんあるのですが、ここでは、関東で「日高屋」という中華料理のチェーン店を運営している株式会社ハイデイ日高(本社:埼玉県さいたま市大宮区、設立:1978年3月22日、資本金:1,625,363,422円、代表取締役会長:神田正(かんだ・ただし)、代表取締役社長:高橋均(たかはし・ひとし))の元祖のお店の話です。
 ハイデイ日高の創業者の神田正氏は、1941年、埼玉県入間郡高萩村(現、日高市)で生まれました。神田氏は傷痍軍人で働くことができなかった父に代わって、小学校6年生の頃から、働いて、家計を支えたそうです。1953年から約4年間、休日になると横田基地から川越の霞ヶ関カンツリー倶楽部にゴルフに来る在日米兵のキャディを務めたそうです。中学生になるとキャディに加え、新聞配達を始め、卒業後は箪笥の金具を作る製作所、浄水場の塀作り、鉄工所でのベアリング作り、運送屋、土建屋、キャバレーのボーイなど、15もの職を転々としたそうです。
 一番長く続いたのが本田技研工業の工場で、1年半で働きが認められて正社員に登用されたものの、単調な仕事に飽きて辞めたそうです。当時、正社員になったことを喜んでくれた母親は、辞めたことを知って大変、悲しんだそうです。
 その後、金がなくなると家にも帰らず、野宿して過ごすような風来坊のように生活していた神田氏ですが、そんな人生が転機を迎えたのは1968年、27歳の時だそうです。パチプロとして生計を立てていた神田氏は、知人の頼みで岩槻市(現、さいたま市岩槻区)のラーメン店の雇われ店主になったそうです。それ以前にも浦和市(現、さいたま市浦和区)のラーメン屋さんで働いていたこともあったそうです。
 ラーメンを作るのは難しくないし、売れた分は現金になってすぐに入ってくるため、ラーメン屋という仕事が面白かったそうです。元々、貧乏だったので、現金に触れることや、金儲けの仕組みを知ることが楽しかったそうです。
 その後、店を譲りうけることになった神田氏は経営にのめり込み、店の売り上げを拡大させたものの、「天狗」になってしまったそうです。スナック経営に手を出し、それが失敗し、1年後にはラーメン店を潰してしまったそうです。
 その後、偶然、家賃が月2万円という破格の安さの5坪の物件に出会い、「現金を手にできる感動」が甦ったことから、ラーメン店をやる気になり、1973年2月、さいたま市大宮区宮町に中華料理店、「来々軒」をオープンさせました。神田氏は深夜まで開店し、低価格の料理を提供して、多くのお客を集めていたそうです。
 そして2年後の1975年3月には大宮南銀座に「来来軒」の2号店を開店しました。神田氏は、この頃、会社員が昼食を外で食べるケースが増えた事に気付き、ファミリーレストランチェーンの市場規模が拡大していた事から、ラーメン店でも同じような多店舗のビジネスを展開しようと考えたそうです。当時、ラーメン店といえば、3〜4年修業して、自分の店を持つのが普通でしたが、それでは数店舗の経営が限界です。二人の弟、町田功氏(実弟、現、顧問)、高橋均氏(義弟、現、代表取締役社長)も独立して自分の店を持つことを希望していたそうですが、神田氏は弟達を説得し、会社組織にして3人で共同経営する道を選んだそうです。
 そこで1978年3月に組織を法人化し有限会社日高商事を設立しました。1983年10月には有限会社から株式会社に変更しました。また、同じ1983年10月に「来来軒 大宮西口店」を開店しています。その後、1986年3月には、現在のさいたま市大宮区三橋に食材供給子会社、株式会社日高食品を設立し、麺と餃子の生産を開始しました。会社名に「日高」を入れたのは、日高市出身ということだと思います。1993年3月に東京都北区赤羽に都内進出第1号店として「らーめん日高 赤羽店」を開店しました。
 その後、紆余曲折を経て、1998年6月に商号を「株式会社ハイデイ日高」に変更しました。この「ハイデイ日高」とした理由は、神田氏の出身地である埼玉県日高市にちなんでいます。「日高」の「日」を英語にして「デイ(day)」、「高」を英語にして「ハイ(high)」、ということで「デイ・ハイ」ですが、美味しいラーメンを食べて「ハイ(高揚した)な一日(デイ)」になって欲しいという思いで、逆さにして「ハイデイ」と名付けたそうです。その後、1999年9月には株式を日本証券業協会に店頭登録し、株式公開をしました。
 その後、様々な試行錯誤を経て、現在の主力業態である「日高屋」の展開を開始することになります。この最初の店舗が、2002年6月に新宿東口オープンした「日高屋 新宿東口店」です。低価格チェーン店ということで、中華そば、390円を謳っています。当時、新宿ではラーメン1杯が700円〜1,000円の店が多かった中で、新宿のど真ん中でラーメン1杯、390円というのは、ものすごいインパクトです。この戦略が功を奏し、次々と店舗を展開していきました。
 現在では「日高屋」ブランドが勢力を伸ばしていますが、「来来軒」というお店も、そのまま営業を続けています。「来来軒」としては、2020年8月現在、「大宮南銀座」、「大宮西口店」をはじめ、埼玉県内に6店舗、都内には赤羽店の1店舗を運営しています。

・2021年12月1日、追記
 2021年11月14日で閉店になりました。コロナ禍で外食客は激減し、特に深夜の客が多かった大宮南銀座店は、緊急事態宣言などによる営業時間の短縮や酒類提供の自粛で売り上げが落ち込んだそうです。10月下旬に酒類提供の自粛が完全に解除され、午前4時まで営業時間を延ばしたものの、売り上げは戻らず、従業員の確保も難しくなり、11月初めに閉店を決めたそうです。

・2022年3月6日、追記
 2022年2月24日、大宮東口で、元々、来来軒があった場所からすぐ近くの場所に復活、リニューアルオープンしました。この場所は、以前は「大衆酒場HIDAKA 南銀座店」があった場所だそうです。





・キムチ炒飯



・餃子



・五目春巻き



・おつまみネギチャーシュー



・来来軒 南銀座店
 住所:埼玉県さいたま市大宮区仲町1-7-2 ホクシンビル 1F
 TEL:048-641-1890
 営業時間:11:00〜2:00
 定休日:無
 駐車場:無
 アクセス:JR、大宮駅、東口から徒歩約3分
 カード:不可
 席数:席
 オープン日:2022年2月24日

・来来軒 大宮南銀座店(旧店舗、閉店)
 住所:埼玉県さいたま市大宮区仲町1-62-1
 TEL:048-650-2332
 営業時間:8:00〜23:00
 定休日:無
 駐車場:無
 アクセス:JR、大宮駅、東口から徒歩約3分
 カード:可(VISA、MASTER、JCB、Diners、AMEX)
 席数:48席
 オープン日:1975年3月