フライングガーデン

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更新日:
 2023年9月30日



◎フライングガーデン(2023年9月30日)
 フライングガーデンは「爆弾ハンバーグ」が有名なファミリーレストランで、栃木県小山市に本社がある株式会社フライングガーデン(創業:1976年11月、設立:1981年12月、資本金:5,000万円、代表取締役会長:野沢八千万(のざわやじま)、代表取締役社長:野沢卓史(のざわたかふみ))が運営しています。2023年9月現在、群馬、埼玉、栃木、茨城、千葉の北関東エリアで57店舗を展開しています。
 創業者の野沢八千万(のざわやじま)氏は1947年(昭和22年)11月29日、茨城県笠間市稲田町で8人兄弟の末っ子として生まれたそうです。当時、日本の人口は8000万人だったそうで、その人々を幸せにできるようにと、「八千万(やじま)」と名付けられたそうです。
 野沢八千万氏は小学生の頃から料理と本が好きだったそうです。中学の時には社長になろうと決めたそうです。そして社長になるなら料理人かデザイナーか美容師だと思っていたそうですが、絵が下手、美容師もガラではない、ということで料理の道で社長になろうと考えたそうです。高校卒業時には川崎のデパートの就職を決め、父親からもらった2万円とボストンバック1つで上京したそうです。しかし、デパート勤めは辞令が出た時点で辞めたそうです。元々、東京に出るための口実として就職したため、興味はなかったそうです。
 デパートを辞め、することがなかったある日、ゴミ箱から拾ったスポーツ新聞に寝具付きで好条件な飲食店の店員募集が載っていたそうです。それは神田、神保町にある洋食屋さんで、すぐに電話をすると採用され、その後、2年間、世話になったそうです。
 そして次に野沢八千万氏が就職したのは今井克宏さんがいるお店だったそうです。今井克宏さんは1963年に全日本司厨士協会より青年欧州派遣司厨士としてヨーロッパに派遣され、スイス、フランス、ドイツ、イタリアの有名レストランで修行を重ねた人です。1968年に帰国すると静岡県浜松市のレストラン・オークの料理長に就任しました。そして1972年にドイツ、フランクフルトで開催された第13回世界料理大会(International Exhibition of Culinary Art)に日本代表のキャニーのチームの一員として出場し、金メダルを獲得しました。1978年に独立し、ビストロ・トック・ブランシュ、姉妹店であるトック・ルージュを開店するなど、レストランを運営される方です。野沢八千万氏は、この今井さんの下で働いた3年間は非常に貴重な経験になったと回顧されています。
 その後、群馬県伊勢崎市の従兄弟がレストランをやりたいと言い出したため、そこで料理とマネジメントをしたそうです。そして1976年(昭和51年)11月29日、29歳の誕生日に独立しました。群馬県桐生市に10坪の小さな喫茶店を開きました。ピザとクレープの店、「ノザワ」です。24席のお店だったそうです。桐生市を選んだのは、野沢八千万氏の奥さんの実家があったからのようです。
 当時、ピザもクレープも桐生市では知られておらず、「イタリア風お好み焼き」という説明をしながら、最初の3ヶ月はお客さん1人に1枚ずつ無料で提供したそうです。この戦略が当たり、半年も経つと新聞に取材されるなど知名度が上がり、お店は繁盛したそうです。そして1981年(昭和56年)12月に資本金5,000千円で株式会社ノザワハッピーフーズ事業本部を群馬県桐生市末広町に設立しました。そして1983年7月にはノザワハッピーフーズ株式会社に商号を変更しました。この頃、アメリカを視察し、アメリカ型の郊外型レストランが日本でも受け入れられると考えた野沢八千万氏は、「ノザワ」の開店から8年後、1984年(昭和59年)8月にフライングガーデンの1号店、フライングガーデン「新桐生店」を群馬県桐生市に開店しました。ただ、当時はまだ、「爆弾ハンバーグ」はメニューにはなく、軽食を中心したメニューで、ドリンクも入れて150品以上あったそうです。駅前ではなく、郊外型ファミリーレストランは繁盛し、1986年4月には栃木県に初の店舗として足利市に「足利店」を開店しました。
 しかし群馬、栃木の3店舗が好調だった1988年(昭和63年)、当時小学校3年生だった次男の野沢卓史(のざわたかふみ)さんの発言にドキッとしたそうです。「お父さん、友だちに言われたんだけど、野沢君のお店で一番、美味しいものは何なのって」。野沢八千万氏は30秒ほど考えてから「みんな美味いよ」と答えたそうですが、即答できる一品がないと、今後の成長はないと気づかされたそうです。そこで、その日から毎日、数十kgの肉をこねて試作を繰り返し、美味しい逸品を作る研究を重ねたそうです。そして2年後の1990年(平成2年)、爆弾ハンバーグの原型となる「網焼き和牛100%ステーキ風ハンバーグ」を生み出しました。そして、このメニューを宇都宮市の姉妹店「フライングタイガー(現、フライングガーデン 下戸祭店)」の開店に合わせて売り出しました。すると、これが大ヒットしたそうです。
 そこで野沢八千万氏は、この商品を「爆弾ハンバーグ」と命名し、全店舗への導入を決めました。社内の会議では「名前が激しすぎる」、「穏やかではない」と誰もが反対したそうですが、全員が反対したことから、野沢八千万氏は独断で「爆弾ハンバーグ」に決めたそうです。それは、ありきたりの名前なら誰も反対せずに「ああ、それ、いい名前だね」ということになるだろうが、誰の記憶にも残らないだろうと。そこで、1回聞いたら忘れないという強烈なイメージで、美味しい料理なら有名になるだろうと考えてのことだそうです。この「爆弾ハンバーグ」は好評で、その後も業績を伸ばしていきました。
 そして、1996年11月には商号を株式会社フライングガーデンに変更しました。その後、1999年4月には茨城県に初出店し、茨城県結城市に「結城店」を開店、2000年4月には埼玉県に初出店の店舗として埼玉県深谷市に「深谷店」を開店するなど、店舗を増やしていきました。さらに2004年6月には千葉県に初の店舗として千葉県印西市に「千葉ニュータウン店」を開店するなど、店舗展開を広げています。
 フライングガーデンの看板メニューである「爆弾ハンバーグ」は、メニューの1ページ目に大きく掲載されています。フライングガーデンの売上高の38%を爆弾ハンバーグが占めているそうです。爆弾のような大きな俵のような形のハンバーグは、店員さんが鉄板の上で2つに分割し、切った面を下にして最後の焼きを入れます。店員さんは、ハンバーグの上にソースを掛けてくれますが、この間、油やソースが飛び散るので、専用のテーブルマットを持ち上げてガードします。店員さんによると「音が鳴りやんだミディアムレアの状態が爆弾ハンバーグの一番、美味しい食べ方です」とのことでした。





・爆弾ハンバーグ(キングランチ、にんにくソース)















・若鶏のスパイシー焼き」



・フライングガーデン 新桐生店
 住所:群馬県桐生市広沢町2-2982
 TEL:0277-54-3210
 営業時間:11:00〜22:00
 定休日:無
 駐車場:有
 アクセス:東武鉄道、桐生線、新桐生駅から徒歩約4分
 カード:可(JCB、AMEX、VISA、Master)
 席数:79席
 オープン日:1984年8月