一蘭

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更新日:
 2020年12月30日



◎一蘭(2020年8月25日)
 「一蘭」は、福岡県福岡市に本社を置く株式会社一蘭(創業:1960年(昭和35年)、資本金:4,000万円、代表取締役:吉冨学(よしとみまなぶ))が運営しているラーメンチェーン店です。「天然とんこつラーメン専門店」との名称が付随しており、こだわりが感じられるラーメンです。
 「一蘭」は、元々、1960年(昭和35年)に中原貞之、圭子夫妻が福岡県福岡市早良区百道に創業した屋台、「双葉ラーメン」が起源だそうです。ラーメンの真ん中に唐辛子ベースの赤いタレを浮かせて提供した元祖とされています。他店の味に左右されない独自のラーメンを開発するため、他店のラーメンは一切、食べなかったそうです。料理としての質が高い懐石料理を食べ歩き、味の勉強をし、ラーメンに反映させていったそうです。その後、唐辛子をベースにした秘伝のタレを開発したことで、食べながら味を変化させるという新しいラーメンの食べ方を生み出しました。
 1966年(昭和41年)に福岡県小郡市に移転した時、店名を「一蘭」としたようです。この店は、口コミで噂が広がり、全国からラーメンフリークが来るようになり、北海道からの常連客まで出来たそうです。やがて、中原さん夫婦は忙しさから体調を崩し、廃業を考えるようになったそうです。しかし、「辞めないで欲しい」という多くの客の声を無視できず、10年以上、通っていた常連客だけを会員にした会員制ラーメン屋としたそうです。全国で初めての会員制ラーメン屋とのことです。
 その後、年齢もあり、引退を決断した中原貞之氏から店名と味を引き継いだのが、現在の株式会社一蘭の代表取締役である吉冨学氏です。吉冨氏は、会員制ラーメン店、「一蘭」の常連客だったそうです。吉冨氏は、「一蘭」の店名と味を無償で譲り受けたそうです。そして会社を立ち上げたのが1993年(平成5年)5月25日で、1993年9月に福岡県福岡市南区那の川に「一蘭」を新たに開店しました。現在の「一蘭」の1号店は、この「那の川店」とされています。
 吉冨氏のインタビュー記事(INOUZ Times、2017年5月18日)によると、中原貞之氏から、「ウチは跡取りがいないけど、屋号だけでも後世に残したい。お金はいらないから引き継いでくれないか」という申し出があった、とのことです。「一蘭」の店名と味を無償で譲り受けたことは、事実であると思われます。
 吉冨氏は「全てのお客様に、とにかく何も気にすることなく無心でラーメンを味わっていただきたい」と考え、「記入式オーダーシステム」、「味集中カウンター(カウンター席、暖簾、仕切り(仕切りは5号店目の博多店から)」、替玉注文時にチャルメラを鳴らす「替玉システム」を考え、「那の川店」から採用したそうです。
 吉冨氏が新「一蘭」を開業し、それが順調に事業を伸ばしていったことを聞いたことのでしょう、事業を開始してから1〜2年後に、中原貞之氏は当初の無償譲渡という話を覆し、多額のお金を要求したそうです。吉冨氏は要求された金額を毎年払い続けたものの、年々、金額が増えていった上、2004年頃、「今後は一蘭という名前を一切使うな」という契約書が送られてきたそうです。それまでは穏便に解決すべく、お金を払っていた吉冨氏も、さすがに弁護士に相談した結果、そのような通知(契約)は認められないから無視すれば良い、というアドバイスを受けたそうです。しかし、この通知を吉冨氏が無視していると、当時の専務が30人の社員を引き連れて突然、辞めていったのだそうです。賞与を払った翌日のことだったそうです。当時の専務は、小学校時代からの幼馴染でもあり、信用していたため、その衝撃は大きかったようです。
 社員には充分すぎる給料を払っていたという思いもあり、あまりのことに死を覚悟したそうです。そこで家族に遺書を残し、新幹線に乗って京都に向かったそうです。吉冨氏の尊敬する叔父が京都出身だったことが原因か、何故か「京都で死のう」と思ったのだそうです。この記述は、いろいろなところにあるのですが、死を覚悟した吉冨氏の視覚からは色がなくなったそうです。季節は秋で、夏から秋に移ろうモノクロの京都をあてもなく彷徨ったそうです。
 ただ、博多の田舎者がよく知らない京都に行っても死に場所が見つかるはずもなく、うろうろした挙句に、ふと腰かけたその隣におじいさんとおばあさんがいて、おじいさんが美味しそうにビールを飲んでいたそうです。そのおじいさんは「明日からは原点に戻って、昔の銘柄に戻そう」とおばあさんに話しかけていたそうです。吉冨氏は、その「原点」という言葉が引っ掛かったそうです。どうやら、おじいさんは以前は違う銘柄のビールを飲んでいたのに、その時、飲んでいたのは違う銘柄のビールで、それを明日から元の好きな銘柄に戻そうと言っていたのだそうです。当時、その銘柄が発売されたばかりで大流行し、誰も彼もが、そのビールを飲むようになっていたそうです。それに対し、実際に飲んでみて、おじいさんは「流行のものではなく、原点に戻そう」と言っていたと思い、これは天国の父親が吉冨氏に「死ぬな」と言っているんだと感じたのだそうです。すなわち、「死ぬな。原点に戻ればいいじゃないか。もう一回、原点に戻れ。」と亡き父親に言われているように感じ、死ぬことをやめ、新幹線に飛び乗って博多に戻ったそうです。
 当然、このクーデター事件は、中原貞之氏が糸を引いており、クーデターを起こした人にレシピを提供、独立を援助したそうです。まあ、この流れでは中原貞之氏は金に汚い人間のようですから、資金援助ではなく、レシピを渡すのでロイヤリティをよこせ、というようなものだったのではないかと推測されます。このような悪人に力を貸した人が始めた店が鳳凛、麺屋我ガ、中蘭のようですが、いずれのお店のHPでも来歴や社長の人物像など、詳細情報が全て不明です。胸を張って言えない事情があるとしか思えません。情けないことです。また、中原貞之氏が仕掛けてきたトラブルも1995年頃には解決できたようです。
 「一蘭」は「天然とんこつラーメン」と謳っていますが、これは、とんこつエキスのパウダーなどを使っておらず、100%豚の骨から抽出されたスープということだそうです。特殊な製法を使って、余分な灰汁(あく)を丁寧に取り除いていくことで臭みをとっているのだそうです。
 「一蘭」は、これ以外にも色々とこだわっています。美味しさを最優先で製造した超生麺のため、麺はスープの中で刻一刻と変化していきます。最も美味しい状態で召し上がっていただくため、一蘭ではラーメンが出来上がってから15秒以内でお客様に提供することを徹底しているそうです。提供にそれ以上の時間がかかる席は設けていないとのことです。
 また、業界で初めて天然由来100%のあぶらを開発し、全店で使用しています。一蘭の天然とんこつラーメンは世界初の「トランス脂肪酸ゼロ」のラーメンだそうです。さらにスープ作りや具材の調理、製麺、炊飯や飲み水、更には麺茹でに至るまで、特別なろ過装置を通した軟水を使用しているそうです。吸収性が高く胃や腸に負担をかけないので飲み水としても最適とのことです。
 「一蘭」は丼にもこだわっており、佐賀県有田町の専属窯元で1つ1つ作らせているそうです。最後の一滴まで味わっていただいた感謝の気持ちを込めて、どんぶりの底には「この一滴が最高の喜びです」と書かれています。
 「一蘭」が推奨する食べ方は、まずは「秘伝のたれ」を混ぜずに麺とスープを隅の方から3、4口、味わって欲しいとのことです。その後、徐々に「秘伝のたれ」を溶かしながら、味の変化を楽しみながら食べていくのがお勧めだそうです。替玉は、麺を半分くらい食べ終えた頃に注文すると、丁度、最初の麺がなくなる頃に提供してもらえるようです。





・ラーメン



・ラーメン(秘伝のタレ2倍)



・一蘭 那の川店
 住所:福岡県福岡市南区那の川2-2-10
 TEL:092-523-8606
 営業時間:24時間営業
 定休日:無
 駐車場:有(8台)
 アクセス:西鉄、天神大牟田線、平尾駅より徒歩約7分
 カード:不可
 席数:15席(カウンター席のみ)
 オープン日:1993年9月