博多荘

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更新日:
 2015年4月20日



◎博多荘(はかたそう)(2015年4月18日)
 博多荘の創業者、井上清左衛門さんは戦時中、特別高等警察(特高)の警察官だったそうです。そのため終戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の公職追放措置によって職を失ってしまいました。追放措置は、身分地位を追われるだけでなく、将来も公職に就けず、また退職金や恩給などの様々な手当ても受けられませんでした。このため、これらの人々は再就職もままならず、家族共々、生活に困窮しました。
 途方に暮れた清左衛門さんに救いの手を差し伸べてくれたのが、当時、中洲にあった中国料理店「福新楼」、2代目の張兆順さんでした。張兆順さんから手ほどきを受け、井上清左衛門が1946年(昭和21年)に開業したのが「博多荘」です。当時は清湯の豚骨ラーメンで、メニューには「中華そば」と表記されていたそうです。
 清左衛門さんが作る福新楼直伝のラーメンは美味しいと評判になったそうです。さらに妻のタマヨさんが考案し、清左衛門さんが名づけた「ワンタン麺」は大人気メニューとなったそうです。「ワンタン麺」は、博多荘が発祥のお店なのだそうです。
 2代目の井上幹二さんは1942年(昭和17年)生まれで、大学を中退して店を手伝うようになったそうです。1967年(昭和42年)、幹二さん25歳、妻、宏子さんが24歳の時、二人は結婚し、結婚と同時に太宰府の水城に「ドライブイン博多荘」を開いたそうです。
 1970年(昭和45年)、幹二さんが28歳の時、創業者の養父、井上清左衛門さんが亡くなり、急きょ、太宰府の店を閉めて中洲の店で働くことになったそうです。しかし、養子のためなのか養母と折り合いが悪かったそうです。間もなくして養母は全従業員を引き連れて店を出た上、店の土地以外の財産も全て自分のものにしてしまったそうです。それと同時に養父の兄からは、土地を預かるという話があったそうですが、幹二さんは中洲の土地だけは譲らなかったそうです。
 翌1971年(昭和46年)、正式に博多荘、2代目を受け継ぎ、店をビルに建て替えたそうです。ビルの名前は、自身が好きな武田信玄の「風林火山」の「不動如山(動かざること山の如し)」から「フドウビル」と名付けたそうです。
 そんな幹二さんは2001年(平成13年)7月、山笠の「お汐井取り」の終わった直後にバイクにはねられてしまいました。幸い命は取りとめたものの、半身不随となって店に立てなくなってしまいました。そこで3代目となる井上倫清(ともきよ)さんが店を切り盛りすることになったそうです。
 倫清さんは、19歳の時から父、幹二さんのもとでラーメン作りを修業してきたものの、経営の経験はなく、苦労したようです。当時、日産自動車の経理部で働いていた妻の祥子さんも会社を辞めて一緒に働くなど、様々な苦労を経て現在に至っているそうです。

・博多荘(はかたそう)
 住所:福岡県福岡市博多区中洲4-3-16
 TEL:092-291-3818
 営業時間:11:00〜14:00、18:00〜翌3:00
 定休日:不定休
 駐車場:有
 アクセス:地下鉄、空港線、中洲川端駅、1番出口より徒歩3分
 カード:不可
 席数:30席(カウンター:10席、テーブル:20席)
 オープン日:1946年