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更新日:
2018年3月30日
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◎かな泉
昭和23年(1948年)、泉川賢社長が23歳の時に戦争未亡人のお姉さんと2人、生きていくためにうどん屋を開業したそうです。苗字の泉川と、お姉さんの嫁ぎ先の姓が金集だったことから、一字ずつをとって「金泉」としたそうです。場所は、高松市の中心の地域である紺屋町でした。
うどんを打ったこともない2人が始めたため、うどん屋に玉を買いに行き、職人技を見て、見よう見真似だったそうです。戦後で食べ物がない時代だったため、そんなやり方でも何とかなったそうですが、常に他に儲かる仕事がないかと考えていたそうです。
泉川賢社長が42歳の厄年を迎えた時、「自分の人生はうどん屋でお終いか」と思い、逆にうどんに本腰を入れて取り組み始めたそうです。うどん作りは単純だが奥が深いが、職人によって大きな違いがある訳ではないことから、他店とは異なる方法でお客様をつかむことを考えたそうです。当時、讃岐うどんは大衆のもので安いとの認識だったそうですが、店舗設計を寒川商業建築研究所に依頼したり、砥部焼きの器や漆塗りのお盆を使ったりして、高級感を出すようにしたそうです。
このような工夫で少しずつ売上も知名度も上がっていきました。多店舗展開も図られ、ピーク時には香川県内に9店舗、岡山県、愛媛県、東京都など、13店舗を展開するほか、フランチャイズもおこなっていたようです。1989年5月期の売上高は24億8千万円にまで増えていたそうです。さらに土産用のうどん販売のほか、うどんのネット通販にも進出していました。創業者の泉川社長は2001年、76歳で引退されたそうです。
しかし、その後は経営が悪化し、不採算店を相次いで閉鎖し、紺屋町本店、空港店と倉敷美観地区の3店舗にまで減りました。当然ですが、売上も店舗数減少に連れて低迷していき2011年5月期は7億5,200万円にまで落ち込み、赤字が1億円近くあったとされています。
2012年4月20日に高松地方裁判所に民事再生法の適用を申請し、5月に再生法の適用を受けました。この時の負債総額は約8億円とされていました。そして経営再建を目指して7月には東京の投資会社、スピードパートナーズとスポンサー契約を締結し、同7月に設立した「かないずみ」に経営権を譲渡する予定でしたが、債権者の金融機関との間で協議がまとまらず、事業継承が頓挫しました。
結局、2012年11月13日に再建断念を発表し、破産が確定しました。民事再生法の適用申請後も高松市内にあった店舗は営業を続けていましたが、再建断念を発表する前日に全店舗の営業が終了しました。
かな泉は、現在、香川県のうどん屋さんで超有名店となっている「おか泉」の創業者、岡田文明氏が修業をしたお店として知られています。岡田氏が1992年(平成4年)7月、15年間の修行の後、JR、坂出駅の北側に自分の店を出すとき、自分の名前の「岡田」と「かな泉」から一字ずつを取って「おか泉」と命名しました。ただし、自分を育ててくれた「かな泉(かないずみ)」と並ぶのは失礼だと考え、「おか泉(おかせん)」という読みにしたそうです。
・讃岐うどんの庄 かな泉 紺屋町本店
住所:香川県高松市紺屋町9-3
TEL:087-822-0123
営業時間:9:30〜17:00
定休日:無
駐車場:無
アクセス:JR、高松駅より徒歩約15分
カード:不可
席数:58席
オープン日:1948年12月
2012年11月12日、閉店
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