柿の葉ずし 総本家 平宗

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更新日:
 2018年11月10日



◎総本家 平宗(2018年10月30日)
 平宗は、江戸時代末期、文久元年(1861年)に奈良県吉野郡吉野町上市で、寿司、川魚、乾物の製造販売業を始めたという歴史がある日本料理のお店です。上市は室町時代から商業地として栄えたところで伊勢街道筋にあり、山上詣、高野詣、伊勢詣の拠点となる場所であり、吉野川筋の奥の山里を商圏とした市場町、街道町でした。また日本三大美林の一つに数えられる吉野杉の集積地として材木市がたち、多くの買い付け人で賑わっていたそうです。
 その後、明治に入ると平宗は吉野川沿いに料理旅館を営み、鮎料理や山菜料理などを提供するようになったそうです。その頃、料理の一品として吉野地方の各家庭で作られていた郷土料理である「柿の葉ずし」を提供していたところ、柿の葉ずしが吉野の名物として全国に広く知られるようになっていったそうです。
 もともと柿の葉ずしは、江戸時代中頃には奈良吉野地方の夏祭りの御馳走として作られていた郷土料理です。各家庭で仕込みをし、1週間くらいの間、食べていたそうです。
 昔、吉野に運ばれてきた海の魚は、熊野灘から伯母峰峠を越えて行商の人が背負い籠で運ばれてくるか、紀の川沿いに運ばれてくるかのどちらかしかなかったそうです。そのため、浜塩といって魚が傷まないように存分の塩を腹に詰められて届けられていたようです。吉野に魚が届く頃には十分に塩もまわり、煮ても焼いてもショッパくて食べられない程で、その身を薄くそいで白御飯にのせて食べることを思いついたようです。
 十分に塩気が回った鯖は薄身にそがれ、一口大に握られたおにぎりの上におかれます。それを一つずつ柿の葉で包み込み、桶の中に隙間無く詰め込み、上に蓋をして重石をのせ、寝かせます。3日程経って発酵が始まり、御飯が糸をひくようになると丁度、食べ頃です。鯖の強い塩気も御飯全体に回り、酸味が生まれ、お寿司のようになります。これがいわゆる「馴れずし」です。その後3日位は美味しく食べることができます。
 平宗では昭和に入ってから、柿の葉ずしを商品として広く販売、流通させるために様々な工夫をし、それまで各家庭の味であった郷土料理を奈良の名物として県外にも出荷できる商品に仕上げていったそうです。現在では発酵させた「なれずし」という面影はなくなり、単に「柿の葉にくるまれた押し寿司」となってしまいました。
 「平宗」の創業家である平井家の過去帳では「宗八(1747年生まれ)」が一番古い記述として残っているそうです。その次が「宗助(1818年生まれ)」で、彼が文久元年(1861年)に「平宗」を創業したと伝えられているそうです。
 また、「平宗」という屋号の由来には「大平宗助」という人が関係しているそうです。鎌倉時代の頃、栃木県の太平山から「宗助」という人物が上北山村にやってきて、河合村(現在の上北山村)や西原村(現在の上北山村)の発展に大きく貢献したという伝説があるそうです。地元では彼の事を「大平宗助さん」とか「平井宗助さん」と呼んでいたそうです。「宗助さん」の出身地が栃木県の平井町にある太平山であることから「大平」や「平井」という呼び名がついたようです。
 栃木県の平井町にある太平山神社の小林宮司によると、栃木の太平山は古くから信仰されていた山で天皇陛下の御加護も篤く、そこには学校のようなものがあり、医術、農林水産業の技術、土木工事、薬草、発酵などの食品加工技術など様々な事を教えていたそうです。ここで多くの事を学んだ「宗助」は太平山の使いとして京都へ度々往来していたようです。その道中、河合村で疫病に苦しんでいる村人を見つけ、太平山で学んだ技でそれを鎮め、村人たちに請われ、この地に住む事になったようです。そして薬草として使っていた柿の葉や琵琶の葉を育てるため、これらの木を植え、薬や食品としての使い方を教えたそうです。さらに急峻な地での宅地造り、谷間の耕作地造り、石積みの知恵や土木技術、杉の植林技術など、太平山で学んだ事を村人に教え、河合村の基盤を築いたそうです。
 また、宗助が魔物を退治したという「鍋割れ塚」という話も上北山村の伝説として伝えられているそうです。現在でも太平山の祠が河合の八坂神社と西原に大切に祀られており、春と秋の祭りでは八阪神社の本殿で祭祀が執り行われた後、神主と参列者全員で大平宗助が祀られている祠にお参りするのが慣習になっているそうです。上北山村にある景徳寺でも「河合弓引き行事」として、現在でも宗助の功績を伝承しているそうです。
 一方、太平山では、京都に使いに行ったまま帰ってこなくなった「宗助」は、遠く離れた吉野の地で人々の役に立っているという話が伝わり、一風変わった人物として愛着を持って語り継がれてきたそうです。2010年に太平山神社の小林宮司が河合と西原を訪れ、祠を開かれたところ、太平山の伝承通りのご神体が現れ、太平山に伝わっていた「宗助」の話が、事実である事が分かりました。ちなみに「平宗」の一番古い印刷物である鮎ずしの版画には「創業鎌倉」と入っていたそうです。
 1951年(昭和26年)11月、昭和天皇が奈良大和路を巡幸された折、吉野の名物として、お食事に「平宗」の鮎ずしを献上しました。当時のパンフレットには「賜無上之光栄」と題し、「この無上の光栄に感激致しまして愈々調味調理に一層専念努力いたし以て多年の御愛顧に酬ひたき決心で御座います」と喜びを表していたそうです。そこで献上した鮎ずしを「献上鮎すし」と名付け、現在でも販売しています。
 店内に入ると、持ち帰り用の柿の葉寿司の販売カウンターがあります。その奥がレストランスペースでテーブル席があります。我々は右手側の小上がり席に案内されました。さらに2階があり、大人数用の座敷席があるようです。





・柿の葉ずし





・焼き鮎ずし







・茶粥
 一緒に出てくるあられを浮かせていただきます。お茶で煮だした粥で、芳ばしいお茶の風味とほのかに塩味がついています。大粒のあられのサクッとした食感がいいアクセントになります。







・そうめん膳(煮麺(三輪素麺)、柿の葉ずし、天婦羅、胡麻豆腐)







・柿の葉ずし 平宗 奈良店:http://www.kakinoha.co.jp/naramise/
 住所:奈良県奈良市今御門町30-1
 TEL:0742-22-0866
 営業時間:10:00〜21:00
 定休日:月曜日(祝日の場合は営業し、翌日休み)
 駐車場:無
 アクセス:JR、奈良駅から徒歩18分
 カード:可(VISA、MASTER、JCB、AMEX、Diners)