千房

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更新日:
 2018年1月31日



◎千房(2018年1月30日)
 「千房」は、1973年(昭和48年)12月創業の千房ホールディングス株式会社(本社、大阪市浪速区、代表取締役会長、中井政嗣、代表取締役社長、中井貫二)が運営しているお好み焼きのチェーン店です。2018年1月現在、全国に64店舗を展開するほか、ハワイ、ベトナム、タイ、フィリピンにも出店しています。
 創業者である中井政嗣(なかいまさつぐ)氏は奈良県当麻町(たいまちょう、現、葛城市)出身で、中学卒業後に尼崎の乾物店に就職したそうです。しかし、子どもの頃から料理の道に憧れていたため、その後、義兄が営んでいたレストランに入って、料理人として修行に励んでいたそうです。ところが、義兄からの「半強制的な」勧めによって、ある老夫婦がやっているお好み焼店を引き継ぐことになったのだそうです。それが1967年11月で、大阪、住吉の「お好み焼 喜多八」で、当時、22歳だったそうです。
 経営は順調だったそうですが、6年目、父親の命日の10月10日に店を明け渡して欲しいと、突然通告されたそうです。もともと明け渡しを求められたら従う約束だったため、これには従うしかないということで、取引があった信用組合の理事長に相談したところ、「新しい店舗を探しなさい。支援してあげるから」と声を掛けてくださったそうです。
 分不相応だとは思ったものの「いずれは大阪、ミナミに店を持ちたい」という夢があったため、思い切って千日前(大阪市中央区)の角地にあった不動産屋さんに飛び込んだそうです。すると、ここの2階を貸してくれることになったそうですが、必要な初期費用は3,500万円だったそうです。
 貯金は80万円しかなかったため、理事長に相談すると「保証金をあと500万円値切ってこい」と言われたそうです。不動産屋さんには「むちゃ言うたらあかんわ」と嘆かれましたが、「僕を男にしてくれ!」と必死に頼み込んだところ、熱意が通じ、「分かった、値引きしよう。その代わり男になってくれな困るで。」と励ましてくれたそうです。
 信用組合から無担保で3千万円を借りて、千房の1号店をオープンしたのは1973年(昭和48年)12月9日です。店名の「千房」は「戦国一の出世頭」とも呼ばれ、大阪城を築いた豊臣秀吉の馬印(うまじるし:戦国時代、戦場で武将の居場所を知らせるため木などの柄の先に装飾を付けたもの、旗印)の瓢箪が房になった図柄、千成瓢箪から名付けたそうです。これは「お好み焼で天下を獲る」との願いを込めてのことだそうです。
 創業スタッフは中井氏夫婦と従業員4人だったそうです。目指すは従来にない「格好いいお好み焼き屋」だそうです。もともと、洋食のコックを目指していたので、町のお好み焼き屋とは違うブランド化を図ったそうです。赤絨毯を敷き、スタッフは割烹着、奥さんは着物で店に出たそうです。BGMは琴の曲を流し、豚玉は当時1枚、400円が相場だったところ、450円に設定したそうです。
 知名度の無さとビルの2階という立地から最初は全然、お客さんが入らなかったそうです。味もサービスも他店には負けていないという自信があったため、お客さんに手品を披露したり、願い事を絵馬に書いてもらって店の中の木に吊るしたりと、様々な工夫を凝らしていくうちに、徐々に客足が増え、売り上げが伸びていったそうです。
 2号店は1977年(昭和52年)、心斎橋の一等地に出したそうです。その後も、一等地に看板を掲げ続けたことが、千房の名前を有名にすることにつながったと考えているそうです。また、創業当時から前味(元気ないらっしゃいませ!の笑顔)、中味(お好み焼そのものの味)、後味(食べ終わってから、お帰りになられるまでの印象)、の3つの味を大切にしているそうです。

・千房焼き



・広島焼き



・とんぺい焼き



・パリパリ餃子



・豚もやし炒め



・大根サラダ



・千房 千日前本店
 住所:大阪府大阪市中央区難波千日前11-27 道風ビル 1F、2F
 TEL:06-6643-0111
 営業時間:11:00〜23:30
 定休日:無
 駐車場:無
 アクセス:JR、香西駅から徒歩約10分
 カード:可(VISA、Master、JCB、AMEX、Diners)
 席数:90席
 オープン日:1973年12月9日