支那そばや

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更新日:
 2020年12月4日



◎支那そばや(2020年12月6日)
 「支那そばや」は、テレビで「ラーメンの鬼」と呼ばれた、故、佐野実氏(1951年4月4日〜2014年4月11日)が1986年に藤沢市鵠沼に開店したラーメン屋さんです。佐野実氏は、神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生まれました。家が貧しく、いつも空腹だったため、幼いころから「将来の夢はラーメン屋か寿司屋になること」と言っていたそうです。(ただし、本人は記憶していないそうです。)
 高校卒業後、横浜ドリームランド内の不二家レストランに就職したそうです。同店のカレーライスが好きで、1ヶ月近く通い詰めたそうです。その結果、就職したそうです。以後、ずっと洋食の世界で働き、28歳から34歳までは管理職(店長)を務める傍ら、趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていたそうです。そのうち、独立してラーメン店を開きたいという思いが高まったものの、地元、戸塚の飲食店組合の融資部長に「修業はした方がいい」と勧められたそうです。そして、彼の斡旋により、湯河原の青竹手打ち麺が売り物のラーメン店で1週間、修業したそうです。その後、実兄の資金援助を受けて1986年8月に藤沢市鵠沼海岸7丁目に「支那そばや」を開店しました。店名については、自分の原体験から「ラーメン」より「支那そば」という名称の方が馴染みがあったとのことで、上記の融資部長のアドバイスも受け入れた上で決めたそうです。
 初めは思うような味が作れず、客も少なく、厨房で涙を拭った事もあるそうです。しかし、持ち前の職人気質から独自にラーメンを研究し、当時はありえなかった高級食材を投入して洗練されたラーメンを生み出し、外食産業で比較的地位が低かったラーメンの地位を向上させました。店の経営が軌道に乗りはじめたのは、2年後の1988年頃だそうです。現在では当たり前となったWスープやトリプルスープ、国産小麦を使った麺なども全て佐野氏が開発し、後世に道を切り開きました。藤沢の店舗は2000年に弟子に譲ったものの、その弟子も辞めてしまった上、後継者もいなかったため、2004年に閉店しています。
 現在は横浜市戸塚区に「支那そばや 本店」というお店があります。これは、駅前再開発にともなって2008年11月にオープンしました。2014年4月に佐野実氏が病で亡くなられた後、後継者問題で紆余曲折があったそうですが、現在は奥様のしおりさんが代表となり、営業を継続されています。ただ、実質的に現場を任されているのはお弟子さんだそうで、ほとんどは佐野氏から受け継いだレシピを守っているそうです。
 美味しさと安全に徹底したこだわりを持ち、日本中から自分が納得できる逸品食材を探し出し、生産者と顔の見える関係を築いてきました。例えばWスープ(鶏、豚)に使用する山水地鶏は、優れた地鶏をかけあわせ、5年かけて開発したオリジナルの地鶏だそうです。現在は岡山県の佐野実ファームで育てています。ラーメンの種類によって使うスープや自家製麺にも数種類の塩を使い分けており、麺作りでは小麦の風味や栄養価をアップさせるため、製粉会社や専門研究員の協力をえて粉の選定から製粉(石臼びき等)、ブレンドまで極めて自家製麺に仕上げているそうです。
 器も食材の一部と考え、有田焼の窯元とコラボして4種類の器を開発し、味によって使い分けています。「醤油ラーメン」用はスープが冷めにくいよう深めの形状にし、醤油の旨味を感じられるようフチを反らしてあります。「塩ラーメン」用はピュアな旨みと甘み、コクをより深く味わえるよう、喉ごしよく流れるラインに仕上げているそうです。その他にも、味噌用と豚骨用があります。
 店内はモダンで黒の効いたシックな雰囲気です。カウンター席やテーブル席など清潔感があって、一人でもファミリーでも利用しやすいお店です。
 店主の佐野しおりさんによると、醤油味は看板メニューで、塩味は得意分野だそうです。味噌は11〜3月くらいの冬用のメニューで夏の限定メニューもあるそうです。同店では「ラーメン」ではなく、「らぁ麺」と表記されています。

・支那そばや 本店
 住所:神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4081-1
 TEL:045-827-3739
 営業時間:11:00〜20:30
 定休日:不定休
 駐車場:無
 アクセス:JR、戸塚駅から徒歩約5分
 カード:不可
 席数:20席
 オープン日:2008年11月1日