来々軒

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更新日:
 2020年12月4日



◎來々軒(来々軒)(2020年11月6日)
 「來々軒」は、東京のラーメンの発祥、あるいは日本でラーメンを世に知らしめたお店として有名です。現在でも、いろいろな場所に「来々軒」という中華料理屋さんや、「○○軒」がありますが、ほとんどのお店が、このお店の名前にあやかった店名ではないかと考えられます。
 「來々軒」の創業者は横浜税関の役人だった尾崎寛一氏です。1910年(明治43年)に現在の横浜中華街から中国人のコック12人を連れて、東京、浅草新畑町3番地、すしや横丁の一角に「來々軒」をオープンしました。
 当時、日本人にはなじみの薄かった「支那そば」という料理を日本人好みの淡泊な味に改良したそうです。この支那そばが大評判となり、東京でラーメンが発展したと言われているそうです。ちなみにラーメンだけでなく、來々軒はシューマイ、ワンタンを日本で初めて売り出した店でもあるそうです。
 來々軒のラーメンは、小麦粉と卵にかん水の手延べ麺、鶏ガラと豚骨に野菜を加えた醤油味のスープに焼き豚、シナチク、刻み葱が具として乗っていたそうです。まさに現在の醤油ラーメンの標準的な形です。当時は一杯、6銭だったそうです。
 繁忙期には一日2500人〜3000人もの来客がある人気店となり、同じようなスタイルのお店が続々と誕生していったそうです。來々軒の支那そばは中華料理店だけでなく、洋食店、カフェなどでも採用され、東京で一般的なメニューとなり、現代につながったと言われています。しかし、「來々軒」自体は跡継ぎがいなかったため、1976年(昭和51年)に閉店してしまいました。
 しかしながら2020年10月14日から、この「来々軒」が新横浜のラーメン博物館で期間限定復活し、営業しています。ラーメン博物館からの要請で創業者、尾崎貫一氏の孫である高橋邦夫氏(87歳)と玄孫の高橋雄作氏(33歳)の協力で復活したそうです。孫の高橋邦夫氏は、父から全盛期の「來々軒」の話を聞き、戦前の「來々軒」のラーメンを食べている方です。彼の記憶と新横浜ラーメン博物館の調査内容を合わせて味を再現したそうです。
 味の再現には横浜市戸塚区のラーメン店「支那そばや(佐野しおり代表)」が協力したそうです。調査によって、創業当時の麺に使用されていた小麦粉の原料は、群馬県の主要品種だった「赤坊主」を中心にブレンドされていたものと推定されたそうです。しかし、同品種は現在、生産されていないため、後継品種に当たる「さとのそら(利根3号)」を使用しているそうです。麺打ちは、伝統的な製麺技法である「青竹打ち」で再現したそうです。
 スープには、当時からの濃い口醤油を使用し、そこに煮干し、国産の豚がらや鶏がら、野菜類を加えて弱火で炊き上げたそうです。彩りを添える具材の焼豚とメンマも、昔ながらの製法で作られているそうです。
 ラーメン博物館の「来々軒」で提供されるのは、看板メニューだった「らうめん」(930円)、「ワンタンメン」(1,130円)、「シウマイ」(1個、150円)などです。「らうめん」には、伝統的な製麺技法の「青竹打ち」で作られた麺を使用した「らうめん(青竹打ち)」(1,100円)もあるそうですが、こちらは1日、限定100食だそうです。ちなみに「来々軒」は今後、ラーメン博物館で3年間の出店を予定しているそうです。

・来々軒
 住所:神奈川県横浜市港北区新横浜2-147-21
 TEL:045-471-0503
 営業時間:11:00〜22:00
 定休日:年末年始
 駐車場:有
 アクセス:横浜市営地下鉄、8番出口より徒歩約1分
 カード:不可
 席数:30席
 オープン日:2020年10月14日