食堂 長野屋

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更新日:
 2022年3月27日



◎食堂 長野屋(2022年3月25日)
 新宿駅の東南口を出ると真正面に真っ赤な日よけ看板に白抜きの文字で「食堂 長野屋」と書かれたお店があります。新宿駅前という一等地で1915年(大正4年)から営業を続けているという100年以上の歴史がある食堂です。現在は4代目のおかみさん、馬場美代子さんがお店を切り盛りしています。元々は「長野屋」という酒屋だったそうですが、名前の由来は分からないそうです。
 昔は、甲州街道を通って荷物を運んできた馬と人が一休みするような場所だったそうです。馬に飼い葉や水を与え、人が食事をするような場所だったようです。1942年(昭和17年)の米穀配給通帳制度に伴って制度化された「外食券食堂」に新宿に何十件もあった食堂の中で唯一、指定されていたそうです。「外食券食堂」とは戦時中の食糧難の時代に国に認められた食堂のことです。
 1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発すると、働き手の男性が戦争に駆り出され、農作物の生産量は減っていったそうです。また、当時、米の国内消費量のおよそ4分の1を朝鮮や台湾から移入していたため、輸送に使う船舶や燃料が軍に優先的に使用されることによって米不足になっていったそうです。
 その結果、1939年(昭和14年)4月、「米穀配給統制法」が公布され、米穀を扱う商いが許可制になり、取引所が廃止されました。さらに秋からは節米運動が奨励され、11月には米の精白の割合を制限する「米穀搗精等制限令」が施行されました。さらに1940年(昭和15年)10月24日、農林省令「米穀管理規則」が公布され、生産者である農家に対して、一定数量の自家保有米を除き、残る全ての米を決められた値段で国に売る義務(米の供出)が課されるようになりました。
 1941年(昭和16年)1月に農林省の外局として戦時の食糧統制を担う食糧管理局が発足し、3月には主食や燃料などを配給で割り当てる「生活必需物資統制令」が国家総動員法に基づく勅令として発せられました。これによって、4月1日から東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の6大都市で米などの穀物が配給通帳制になりました。この年、米だけでなく、酒、卵、魚類なども配給制となりました。1942年(昭和17年)2月21日に「食糧管理法」が制定され、「米穀配給通帳制度」が整備され、全国で施行されるようになりました。
 家庭で使用する米が配給制になると、自炊をしない人(工場労働者や行商人など)に対して「米穀通帳」と引き換えに「外食券」が交付され、「外食券食堂」で食事が摂れる制度が整えられました。食堂側は客が持ってきた「外食券」に応じて業務用米の供給を受けることができました。
 発足当初は外食券食堂でも外食券無しで食事をすることができたり、外食券食堂以外の店でも客から外食券を受け取り、業務用米の配給を受けるなど、規制が緩かったようです。しかし、戦局が悪化し始めた1944年(昭和19年)4月10日以降は規制が強化され、外食券食堂は外食者専用食堂とされ、外食券を持たない人は食事ができなくなり、外食券食堂以外の店への米の配給も停止されたそうです。
 終戦後も日本国内の食糧事情は逼迫しており、米穀通帳と外食券および外食券食堂の制度は続けられました。1947年(昭和22年)7月には飲食営業緊急措置令が発布され、食堂を外食券食堂などに限るなど制度が強化されました。その後、食糧事情に改善の兆しが見られると1949年(昭和24年)5月に同政令が廃止され、食堂の自由営業が可能になりました。
 戦後の高度成長期には、「長野屋」の近くに「旭町(現在の新宿4丁目)」と呼ばれていたいわゆるガテン系の労働者が集まるドヤ街があり、安宿が建ち並び、そこに寝泊まりして働く日雇い労働者がたくさん、食事をしに来ていたそうです。そんな場所も現在は再開発され、発展しており、現在はサラリーマンや学生が客の中心になっているそうです。
 現在のビルは建物としては3代目のようです。創業時は大正時代の建物があり、太平洋戦争で焼けた後、再建し、高度成長期にビルに建て替えたそうです。ビルになるまでは店子として営業していたそうですが、高度成長期に自社ビルとして建設し、晴れて長野屋がビルのオーナーとなっているそうです。2階と3階にも客席があり、全部のフロアの料理を1ヶ所で作っているそうです。現在は、1階しか使っていないようですが、入口を入って左手に2階につながる階段がありました。
 ネットで調べた時、人気がありそうな「カツカレー」を注文しました。カレーは、お勧めの料理の1つだそうです。大鍋に山のように大量の玉ねぎを入れて、しっかりと炒めて甘味を出しているそうです。また、カレー粉は50年以上前から、ナイル商会のカレー粉を使っているそうです。(株)ナイル商会は1935年(昭和10年)創業のカレー粉のメーカーです。インド料理店の草分け、銀座ナイルレストランの初代オーナーとの交流から生まれた「インデラカレー」は、深みのある香りが特徴のカレーです。
 しばらくすると「ブーッ」と昭和の時代のブザーの音がして、エレベーターで料理が到着しました。店員さんが、配膳してくれましたが、昭和を思い出すような雰囲気でした。定食類も豊富ですので、昼でも夜でも、お腹を満たしてくれます。一品料理もありますので、夜は居酒屋のように使うこともできます。ただ、生ビールはないようで、ビールは瓶ビールだけのようでした。







・カツカレー



・食堂 長野屋
 住所:東京都新宿区新宿3-35-7
 TEL:03-3352-3927
 営業時間:11:30〜22:00
 定休日:水曜日
 駐車場:無
 アクセス:JR、新宿駅、東南口から徒歩約1分
 カード:不可
 席数:31席
 オープン日:1915年(大正4年)