串カツ 田中

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更新日:
 2020年5月29日



◎串カツ 田中(2020年5月26日)
 「串カツ田中」は、「株式会社串カツ田中ホールディングス」が運営している串カツに特化した居酒屋です。株式会社串カツ田中ホールディングス(本社、東京都品川区)は、2002年3月20日設立で2019年11月末日現在、資本金303,426千円、連結従業員数348名、売上高100億1092万8千円、経常利益4611万8千円、純利益2107万3千円、純資産1億1960万3千円、総資産19億8078万5千円という大企業で2019年6月に東証一部に上場しています。
 2020年1月時点で全国に約270店舗を展開しています。店名は「串カツ田中」ですが、代表取締役社長は貫啓二氏で、取締役副社長が田中洋江氏です。何故か、社長が田中さんではないのです。(副社長は田中さんですが。)これには複雑、かつ面白い経緯があるようです。
 貫啓二氏は大阪の高校を卒業後、トヨタグループの物流会社であるトヨタ輸送に入社しました。その後、仕事をしながら婚活パーティーを運営し、好評だったため、イベントで人を集客するのも飲食店の同じと考え、会社を辞めて飲食店を経営することにしたそうです。ただ、料理は作れないため、酒なら作れると考えてショットバーを出すことにしたそうです。そこで3カ月間、近所のバーで働いてお酒の作り方をなんとなく覚えたところで店をオープンしたそうです。1998年11月、店名はKGバー、27歳だったそうです。
 ショットバーをはじめて1カ月が過ぎた頃、幼なじみが1人の女性を店に連れて飲みに来たそうです。その女性が田中洋江氏だそうです。店でイベントがある日は1人で店を切り盛りするのは大変とのことで、田中さんをアルバイト第1号として雇ったそうです。
 当時、経営は厳しかったものの、楽しく過ごしていたそうですが、売上計画が全くないことから、田中さんが「きちんと目標や計画を立ててやらないといけない」と主張し、事業計画をノートに書くことにしたそうです。ただ、どんな店を出したいかなどを書いた夢日記のようなものだったそうです。
 その後、2001年2月に大阪、堀江の一等地に、一流のデザイナーを使ったデザイナーズレストランを開業したそうです。当時のはやりをふんだんに取り入れたため、メディアにも取り上げられ、大阪でも有名になったそうですが、経費がかかりすぎ、生活は楽にならなかったそうです。
 そんな状況下、「はやりものは飽きられる。このブームはすぐに過ぎるだろう」という恐怖感があり、「10年20年と、長く愛される店を作りたい」と考えるようになったそうです。そのような話し合いをしている時、田中さんが提案したのは串カツ屋だったそうです。田中さんは、小さな頃から父親の田中勇吉さんが家で作ってくれる串カツが大好きで、いつか店をやりたいと思っていたそうです。しかし、この時は田中さんの父親が作っていた串カツのタレのレシピが見つからず、納得のいく味が作れなかったため、出店を断念したそうです。
 そこで本格的な京懐石料理をやることに決め、2004年3月、初めて東京に進出し、京料理みな瀬を東京都港区に出店したそうです。場所は表参道で、店内には日本庭園を設けるなど、かなりの投資をしたそうですが、経営の悩みは尽きなかったそうです。最も頭を痛めたのが人不足の問題で、京懐石の料理人は職人肌の人が多く、社員との折り合いが難しい上、その職人が辞めてしまうと料理も変わってしまうことから、「業務のマニュアル化や教育によって、料理のプロが不要なコックレスの飲食店をやりたい」と考えるようになったそうです。
 京懐石料理の店は、2008年9月のリーマンショックでお客さんが激減し、半年もたずにつぶれるような状況に陥ったそうです。そこで、会社がつぶれる事態を覚悟して弁護士と相談する一方、貫社長は田中さんに「大阪に帰る準備をして」と伝えたそうです。
 田中さんが引っ越しの荷造りをしている時、以前には、どれだけ探しても見つからなかった串カツのレシピが出てきたそうです。そのレシピは何と、どこにでもあるようなチラシの裏に書かれていたのだそうです。
 このレシピ通りに串カツを作って試食したら、すごく美味しかったそうです。そこで、「どうせつぶれるなら、最後にやれることをやってみよう」と考え、串カツ屋を出すことに決めたそうです。田中家の串カツの味をお客さんに食べてもらって、田中さんのお父さんの背中を感じてもらえる店にしたいとの思いから、店名を「串カツ田中」にしたそうです。
 2008年12月に世田谷に「串カツ田中」の1号店をオープンしたそうです。何と、田中さんが串カツ屋をやりたいと言ってから7年近くが経っていました。それ以前は東京と大阪の一等地で、施工に数千万円かけた店を運営してきたものの、そんな資金はないため1週間ほど物件を探し、世田谷区の住宅街の一角で、保証金がなく、嘘みたいに安い物件を見つけたそうです。雑居ビルの1階で、もともと飲食店だった14坪の居抜き物件だったです。店のコンセプトは、大阪の住宅街にある串カツ屋ということにしたそうです。
 内装は大工さんと一緒に自ら作り、厨房機器はヤフオクで競り落とし、椅子はパイプ椅子、テーブルも安いものを見つけたり、ドラム缶を使ったりして出店費用は300万円で収めたそうです。
 あまり期待していなかったそうですが、この店は、開店早々から徐々にお客さんが増え、2009年の夏には営業開始前から行列が出来るようになり、道路にビールケースを置いて、その上に板を置いてテーブル代わりにして食事を出すほどになったそうです。
 東京の懐石料理の店は約40坪で客単価は約1万5000円、月商は800万円だったそうですが、串カツ田中1号店は14坪で客単価2400円と低いものの、お客さんの数が多く、月商は800万円以上になったそうです。初期投資も運営コストも低いため十分な利益を生み出し、出店コストの300万円はわずか1カ月で返済でき、さらに1年半ほどで数千万円あった会社の借金も全てなくなったそうです。
 串カツは、大阪の伝統的なB級グルメで、それぞれの家庭や店で、それぞれ独自の味があるそうです。「串カツ田中」の味は、副社長の田中洋江さんの亡き御父上、田中勇吉さんが残した秘伝のレシピをもとにメニューを開発し、衣、油、ソース、全てがオリジナルブレンドで全店、味のブレがないそうです。



・串カツ 田中 世田谷店
 住所:東京都世田谷区世田谷1-16-16 安藤ビル 1F
 TEL:03-3439-4447
 営業時間:17:00〜25:00
 定休日:不定休
 駐車場:無
 アクセス:東急、世田谷線、世田谷駅から約徒歩3分
 カード:不可
 席数:30席
 オープン日:2008年12月7日