ビヤホールライオン

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更新日:
 2023年6月24日



◎ビヤホールライオン、銀座ライオン(2023年6月2日)

 「ビヤホールライオン」は東京都中央区銀座に本社がある株式会社サッポロライオン(創立:1949年(昭和24年)9月1日、資本金:5,000万円、代表取締役社長:三宅祐一郎)が運営している居酒屋です。株式会社サッポロライオンは、サッポロビールの持ち株会社であるサッポロホールディングス株式会社の100%子会社です。株式会社サッポロライオンは「ビヤホールライオン」の他にも、「銀座ライオン」、「銀座ライオン LEO」、「エビスバー」、「ヱビスバースタンド」、「個室・炉端料理 かこいや」、「ビール園」、「ダブリナーズ アイリッシュパブ」、「そばえもん」など、様々なブランドを展開しています。
 サッポロホールディングス株式会社は、もともと1876年(明治9年)に設立された開拓使麦酒醸造所に端を発しています。後に札幌麦酒株式会社となり、さらに1906年(明治39年)3月に札幌麦酒(サッポロビールの前身)、日本麦酒(恵比寿ビールを製造)、大阪麦酒(アサヒビールの前身)の3麦酒会社が合併し、大日本麦酒株式会社となりました。その後、1907年(明治40年)に東京ビールを製造していた東京麦酒を買収し、1933年(昭和8年)には日本麦酒鑛泉(ユニオンビール、三ツ矢サイダーを製造)を買収し、さらに1943年(昭和18年)には桜麦酒(サクラビールを製造。1929年(昭和4年)に帝国麦酒から社名変更。)を合併しました。さらに朝鮮市場向けのビールを製造するため、地元資本と折半して資本金600万円で1933年(昭和8年)8月に朝鮮麦酒株式会社(現在のハイトビール(ハイト眞露)を設立しました。しかし、太平洋戦争後の1949年(昭和24年)9月1日、財閥解体のあおりを受ける形で過度経済力集中排除法の適用を受け、朝日麦酒(現、アサヒグループホールディングス)と日本麦酒(現、サッポロホールディングス)に分割されました。
 株式会社サッポロライオンは1936年(昭和11年)11月16日に大日本麦酒から外食部門が独立し、共栄株式会社が設立されましたが、この会社が前身となります。太平洋戦争後の1949年(昭和24年)9月1日に親会社である大日本麦酒が分割される際、共栄も日本共栄株式会社と朝日共栄(現、アサヒフードクリエイト)の2社に分割されました。この日本共栄株式会社は1966年にサッポロ共栄と社名を変え、さらに1979年にサッポロライオンと社名を変更し、現在に至っています。

 社名と屋号の由来となる「ライオン」は、1911年(明治44年)8月10日に銀座尾張町角(現、銀座4丁目交差点)に現在の西洋料理店「上野精養軒」の前身、築地精養軒が開店した「カフェー・ライオン」からきているそうです。「ライオン」の店名は、ロンドンの中心地、ピカデリーサーカスで営業していたレストラン「ライオン」にあやかったと言われています。「ライオン」は英国王室の紋章に使われていることから、七つの海を制覇した英国のようにレストランの頂点を極めたいという野心があったのかもしれません。この「カフェー・ライオン」はバーや宴会場を備えた先端的な「純粋欧米式レストラン」として多くの文化人にも愛され、銀座の名所の1つとなったっそうです。
 その後、「カフェー・ライオン」は1931年(昭和6年)6月に大日本麦酒(サッポロビールの前身)に経営が移管され、1931年(昭和6年)8月30日には「ライオンヱビスビヤホール」となりました。この地には1970年(昭和45年)6月にサッポロ銀座ビルが建てられましたが老朽化に伴って2014年に立て替えが開始され、2016年に銀座プレイス(2016年以降)が誕生しました。この間、一貫して銀座ライオン(ビヤホールライオン)が営業を行っています。

 一方、「ビヤホールライオン」の創業は1899年(明治32年)8月4日に東京市京橋区南金六町五番地(現、銀座8丁目)にサッポロビール(法人としてはサッポロホールディングス)の前身である日本麦酒醸造が日本初の「恵比壽ビヤホール」をオープンしたことに由来しているとされています。この日本初のビヤホールは、東京、中央区の日本橋や横浜赤レンガ倉庫を手掛けた建築家の妻木頼黄(つまきよりなか)氏が設計し、規模は35坪、入口から向かって左側にカウンターを設けてニッケル製のスタンドを作り、床はリノリウム張り、イスやテーブルはビールの樽材で作られ、酒器はガラス製のジョッキとするなど、当時としては極めてモダンな店だったそうです。このビヤホールは2階建ての煉瓦造りの建物の2階を間借りして開店したのですが、当時有名だった小林習古画伯の壁画を飾るなど、とても豪華な造りをした店舗だったため非常に繁盛したそうです。1日の来客数は平均800人に達し、遠方から馬車でやってくる人もいたそうです。もり蕎麦1枚、コーヒー1杯が1〜2銭、食パンが5〜6銭程度の時代にビール500mlを10銭で販売していたそうです。当時の紡績、織物工場で働く女性の1日の賃金が20銭ほどだったそうですから、かなりの高額です。しかし、開店3日でおよそ900リットル、1週間後には1日に1000リットルも売れたそうです。
 当初はビールのみを売るつもりだったそうですが、スタッフがドイツに視察へ行ったところ、街中にあるビアハーレで赤大根をスライスして塩を付けて食べるおつまみを出していたので、日本でも大根スライスを出したそうです。しかし、お客には不評だったため、蕗(ふき)や海老の佃煮を提供するなど、和食のつまみとビールのマッチングが試されたそうです。
 その後、1918年(大正7年)7月5日に京橋区竹川町に「銀座ビヤホール(現、ビヤホールライオン 銀座七丁目店の前身)」を開店しました。しかし、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって銀座ビヤホールは消失してしまったそうです。
 1931年(昭和6年)6月には「カフェー・ライオン」の経営が築地精養軒から大日本麦酒に移管され、1931年(昭和6年)8月30日に「ライオンヱビスビヤホール」と店名、業態を変更して開店しました。しかしビヤホールになった後も、お客からは「銀座ライオン」の通称、愛称で呼ばれていたことから、戦後の1949年(昭和24年)には正式な店名として「銀座ライオン」が採用されました。
 1934年(昭和9年)4月8日には関東大震災で焼失した銀座ビヤホールの跡地に大日本麦酒本社ビルが竣工しました。このビルのテナントとして、中央通りに面した1階に「銀座ビヤホール(現、ビヤホールライオン 銀座七丁目店)」が営業を開始しました。その後、戦火で焼失したものの、1946年(昭和21年)にバラック建てで営業を再開しました。これが今日のビヤホールライオン銀座七丁目店であり、現存する最古のビヤホールです。

 「銀座ビヤホール」は太平洋戦争中の戦火は免れたものの、1945年(昭和20年)の終戦後、アメリカ軍に接収され、進駐軍専用のビヤホールとなり、9月11日に営業を再開しました。このため1951年(昭和26年)12月31日まで一般の人々は入れませんでした。接収が解除され、一般客に向けて営業を再開したのは1952年(昭和27年)でした。現在、「ビヤホールライオン」と「銀座ライオン」のブランドで同じようなお店を展開していますが、この違いについては良く分かりません。
 ちなみにビヤホール形式の常設店舗は、恵比寿ビヤホール(1899年、明治32年)より一足早く、2年前の1897年(明治30年)に現在のアサヒビールの前身である大阪麦酒によって大阪、中之島に「アサヒ軒」がオープンしていました。アサヒ軒ではジョッキを片手にビールを楽しむ顧客で大盛況になっていたそうですが、「ビヤホール」という名称を最初に使ったのが恵比寿ビヤホールであることから、恵比寿ビヤホールが日本初のビヤホールとされています。ただ、正確には「恵比壽ビヤホール」は世界初のビヤホールではないか、とも言われています。ドイツでは中世の頃に醸造所が居酒屋を兼ねはじめ、その一角でビールを飲むことができるようになっていたそうですが、この一角が広間なら「ビーア・ハレ(Bier Halle)」と呼ばれていたそうです。この「ビーア・ハレ」を英語に直訳すれば「beer hall」ですから、ドイツには中世からビヤホールがあったと言っても問題ないように思われます。しかし実は、ドイツ語としての「Bier Halle」は存在しますが、英語としての「beer hall」は存在していないのだそうです。英語では「beer parlor」とか、「beer joint」と呼ばれているようです。

 1899年(明治32年)に日本麦酒醸造が日本初の「恵比壽ビヤホール」をオープンする時、日本初の新らしい形態のお店の名前選びに時間をかけたそうです。そこで、英語に詳しい日本人や外国人に相談し、宣教師の意見から最初は「ビヤサロン」と決定したそうです。しかし、あるイギリス人から「宣教師は上品なサロン(salon:大広間、客間)をイメージしているようだが、理容師や美容師が働く店のことも「サロン」と呼び、横浜あたりでは「サロン」といえばいかがわしい店を指す。店名には相応しくないので、ホールのほうが良い。」との提案があり、最終的に「ビヤホール」に決まったそうです。すなわち「ビヤホール」は英語ではなく和製英語であり、日本麦酒醸造の当時の社長であった馬越恭平氏が名付け親ということになりそうです。したがって「恵比寿ビヤホール」は日本初どころか、世界で最初の「ビヤホール」ということになるのだそうです。現在、銀座ライオンチェーンでは、この恵比寿ビヤホール開店日の8月4日を創業祭として、生ビール全品半額などのサービスを行っています。



・ソラチ1984



・エーデルピルス



・白穂乃香



・ヱビス&ヱビス(ハーフ&ハーフ)



・ヱビス プレミアムブラック



・シェフのおまかせ 前菜3種盛合せ



・おつまみサラダ



・ムール貝のワイン蒸し



・ベーコンとソーセージのシュークルート



・チキンの唐揚げ、ビヤホールソーセージ、ヴァイスブルスト、シュリンプ



・LIONミックスピザ



・シュリンプピザ



・ビヤホールライオン 銀座七丁目店
 住所:東京都中央区銀座7-9-20 銀座ライオンビル 1F
 TEL:03-3571-2590
 営業時間:11:30〜22:00
 定休日:無
 駐車場:無
 アクセス:JR、有楽町駅から徒歩約7分
 カード:可(VISA、Master、JCB、AMEX、Diners)
 席数:280席
 オープン日:1934年(昭和9年)4月8日