横浜家系ラーメン 町田商店

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更新日:
 2024年3月24日



◎横浜家系ラーメン 町田商店(2024年3月25日)
 「横浜家系ラーメン 町田商店」は、町田商店以外にも豚山、元祖油堂、長岡食堂、がっとん、四天王、赤みそ家、東京ラーメン横丁などを全国的に展開している株式会社ギフトホールディングス(創業:2008年1月、設立:2009年12月7日、本社:東京都町田市、資本金:7億9,700万円(2023年10月末現在)、代表取締役社長:田川翔)が展開しているラーメン店です。
 ギフトホールディングス創業者の田川翔氏は1982年11月8日、千葉県船橋市で生まれました。小さい頃からラーメンが大好きで、中学の時にはラーメン屋の店主になると決めていたそうです。その頃には横浜市に引っ越していて、母親に頼まれ、高校に進学したそうですが、勉強はせず、遊びに精を出していたそうです。そして「横浜家系ラーメン 壱六家」のラーメン、店の雰囲気が気に入り、通うようになったそうです。常連となり、店長とも仲良くなり、ある日、店長から「卒業したらどうするの?」と聞かれ、田川翔氏は「ここで働きたいです。」と言ったそうです。すると店長は「いいじゃん、待ってるよ。まかないで毎日ラーメン食べさせてあげるよ。」と言ってくれたそうです。
 そして無事に高校を卒業すると、田川翔氏は2001年に「壱六家」に入社しました。当時、「壱六家」は4店舗で、どの店も行列ができるラーメン店だったそうです。田川翔氏は、その中で最も長い行列を作っていた磯子本店に配属され、1から修業し、4年後には店長を任されるまでになったそうです。そして5年目に社長と様々なことを教えてもらった恩師である方に1年後に辞めることを申告したそうです。そして2007年8月末に「壱六家」を円満退社したものの、独立して店を立ち上げる準備を一切していなかったため、そこから起業の準備を始めたそうです。
 まずは失業手当をもらう手続きをしなくてはと考えた田川翔氏は、ハローワークで離職の説明を受け、
「起業したいです。ラーメン屋をやりたいのですが、まず何をしたらいいのでしょうか?」と相談すると、「物件を探したらどうですか?」とアドバイスをくれたそうです。そこで翌日から場所選びのために、聞いたことのある駅に片っ端から降りてみたそうです。京浜急行線の20以上の主要な駅に降りて探した結果、川崎駅と蒲田駅は良さそうな印象を持ったそうですが、「1店舗目の店を構えたい!」とまでは思えなかったそうです。
 そんなある日、知人から相模大野駅がいいらしいとの情報を聞き、喜び勇んで行ったものの、期待とは裏腹に女子大生が多い町で、駅隣接の商業施設に人が集まり、路面店の人通りは少なく、ラーメン店が繁盛するイメージは全く持てなかったそうです。がっかりして帰ろうとした時、駅にある地図看板を見ると近くに町田という地名が書かれていたそうです。田川翔氏は「町田って聞いたことあるな。距離も近いし、歩いて行ってみよう!」と思い、相模大野から町田方面に歩いていったそうです。15分ほど歩いた時、まだ駅には遠く、距離があるのに妙な高揚感が湧いてきたそうです。そして駅に近づくにつれて、その高揚感は起業後に成功するイメージが湧いてきたそうです。
 田川翔氏は「この町なら絶対成功できる!」と感じ、事業用の店舗を扱っている町田の不動産屋を回ったそうです。そして、ある不動産屋から広さ11坪、家賃27万の物件を紹介されると、即決し、申込書を提出したものの、大家がラーメン屋に難色を示し、契約ができなかったそうです。田川翔氏は居てもたってもいられず、毎日、物件の前でウロウロしていたそうですが、ある日、解体作業が終わった物件の中で1人の老人がタバコをふかしていたそうです。田川翔氏が思い切って話しかけてみると、その人は狙っていた物件の大家さんの知り合いの大工だったそうですた。その大工が「俺はそこの大家とは長い付き合いだから、もし兄ちゃんが、この物件の内装をやらせてもらえるなら大家に口を聞いてやるよ!」と言ってくれたそうです。そこで田川翔氏は承諾し、大家に合わせて欲しいと伝えたそうです。そして奥さんと子供を連れ、手土産を持って大家に挨拶に行くと、了承してもらえたそうです。
 田川翔氏は8歳年上で、仕事では自分より1年先輩のじゅんさんという人にパートナーになって欲しいと伝えると二つ返事でOKしてくれたそうです。また、その頃、新入社員で入っていた宮下さんという2歳年上の後輩にも声をかけ、パートナー2人と共に出発することなったそうです。
 町田の物件は家賃が税抜き25万円、保証金10ヵ月、礼金仲介手数料が1ヵ月ずつで、契約に掛かった費用は300万円ちょっとだったそうです。退職時に700万円ほどの自己資金を貯めていたため、取得費用に問題はなかったものの、工事費用と厨房器機材で1200万円ほどかかると言われたそうです。町田の商工会議所に相談し、国民生活金融公庫(現、日本政策金融公庫)で借りると良いというアドバイスをもらい、資金を調達したそうです。
 しかし、「壱六家」の業者と取引ができなくなったため製麺屋はタウンページで探し、肉屋は町の精肉店を回って必要な業者と取引する準備をしたそうです。サイドメニューの餃子は、業務用の冷凍餃子では満足できず、手作りすることにしたそうです。しかしレシピがなかったため、横浜の杉田にある「九龍坊」という店の餃子が一番、美味しいと思っていたことから、店主に「今度、町田でラーメン店をオープンさせます。ここの餃子は今まで食べた餃子の中で一番おいしいのでレシピを売って頂けませんか?」と頼んだそうです。店主は「そんなことを言われたのは初めてだ。」と困惑されていたものの、25万円で餃子のレシピを売ってもらえたそうです。
 2008年、年明けに店は完成したものの、家系ラーメンの特性上、新しいガラからではすぐに美味しい味が出にくいため、2週間ほどスープの仕込み準備期間を設けたそうです。どうせなら「壱六家」の味ではなく、新しい独自のスープを作ろうと考え、今まで使ったことのない部位のガラをたくさん集めて試食を繰り返した結果、自分でも驚くほどの美味しいスープが出来上がったそうです。
 店名は、地域に愛してもらい易いよう「町田」という地名と、語尾に「家」が付く家系の定番の名を敢えて外し、暖かみを感じる「商店」を繋げて「横浜家系ラーメン 町田商店」にしたそうです。2008年1月25日、満を持してオープンしたところ、初日は11時から22時までの営業で20万の売り上げと、好調なスタートだったそうです。
 翌2009年12月には、個人事業を法人化し、株式会社町田商店(資本金5,000千円)を設立しました。そしてオープンから2年半が経った2010年8月には、2号店となるJR山手線、代々木駅近くに「代々木商店」をオープンしました。その後も順調に事業を展開していき、2015年5月に商号を株式会社ギフトに変更、2021年8月に会社分割による持株会社体制へ移行し、2022年3月に商号を株式会社ギフトホールディングスに変更しました。2024年1月現在、100店舗以上を展開しています。

・横浜家系ラーメン 町田商店 本店
 住所:東京都町田市森野1-34-13 TMビル3
 TEL:
 営業時間:11:00〜3:00
 定休日:無
 駐車場:無
 アクセス:小田急、小田原線、町田駅より徒歩約3分
 カード:不可
 席数:20席
 オープン日:2008年1月25日