薄利多賣半兵ヱ

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更新日:
 2019年12月30日



◎薄利多賣半兵ヱ(2019年12月20日)
 「薄利多賣半兵ヱ」は、秋田県秋田市に本社がある株式会社ドリームリンク(設立:2000年7月、資本金49,975,000円、代表取締役:村上雅彦)が運営している居酒屋です。薄利多売をモットーに、昭和初期の雰囲気をテーマとした居酒屋です。「エノケンが流れる楽しいお店」というキャッチコピーで全国に店舗展開しています。
 ドリームリンクの創業者の村上雅彦氏は1962年10月、秋田県秋田市に生まれました。父親は銀行に勤め、母親もかつては銀行員だったそうです。姉が1人いますが、銀行員だった父は転勤族だったようです。村上雅彦氏は、小さな頃から素行が悪く、中学、高校になると拍車がかかったそうです。高校に入学したものの、1週間で退学し、翌年、違う高校に入学し直したものの、2年生の冬にまた退学になったそうです。当時、友情に厚く、一本気な村上雅彦氏は生徒達からの人気は抜群で、教師からすれば扱いにくい生徒の一人だったようです。そして迫っていた生徒会長選挙での当選が確実だったそうです。「制服廃止」、「学食のメニューをもっと楽しくする」、「アイスクリームを売店で販売する」、「バイク通学全面解禁」、「他校との懇親会を設置する」など、様々な公約を掲げており、「村上が生徒会長になったら大変なことになる」と職員達に恐れられ、屁理屈のような理由をつけて退学させられたようです。
 「退学は、教師たちの策謀」と思い、「あいつらより偉くなってやる」と、その後の努力の原動力につながったようです。また、停学中に読んだ矢沢永吉氏の「成り上がり」に感銘を受け、学歴に縛られない生き方を模索したそうです。
 村上雅彦氏は、学歴がなくても成り上がれる道として料理人か美容師になろうと考えたそうです。そこで男性不在の美容業界に可能性を見出し、美容師の道を選択し、村上雅彦氏は秋田の専門学校に入学しました。当時、美容師は99%が女性という職種でした。男性はめずらしい存在だったため、初めて就職した東京の美容室では、経営者であった先生にかわいがられ、お客様にも絶大な人気があったそうです。当時の美容室は物販も収益源の1つで重要でしたが、村上雅彦氏は入社1ヶ月目に物販の売上が、ベテラン美容師を抜いてチェーン全店でいきなりトップになったそうです。
 村上雅彦氏は、この店舗で終わるつもりはなく、国内の有名店で修業を積み、ヨーロッパで仕上げて帰国する、という将来を思い描いていたそうです。しかし、父親からの1本の電話が人生を変えたそうです。
 父親は当時、勤めていた銀行の新潟支店長として赴任していたそうです。その赴任先で「おもしろい店を見つけた。」のだそうです。しかも、「実は、この店はチェーン店で、秋田県進出の話が進んでいる。おまえがやるならオレも銀行を辞めるから、一緒にやろうと思う。」とのことだったそうです。父親は、「次期役員」と言われていたそうですが、数年前に息子がつぶやいた言葉を覚えていたのだそうです。村上雅彦氏は、その気持ちが嬉しくて即決したそうです。その店とは、居酒屋チェーン店の「村さ来」で、「村さ来」の経営者が、わざわざ新潟の父の元を訪れて誘ってくれたのだそうです。
 しかし、その美容室で指名を多数、もらっていたため、すぐに辞めることができなかったそうです。一方、父親も同様で、こちらは1年半かかっている。村上雅彦氏は美容師を辞めると新潟に行き、父親を誘ってくれた経営者のもとで修業を開始したそうです。この当時の「村さ来」のフランチャイズシステムは「暖簾貸し」に過ぎず、メニューにも決まりがなかったそうです。すなわち、メニューの開発から仕入ルートの確保まで、ゼロから自分でやらないといけなかったそうです。
 1982年10月、株式会社「秋田料飲コンサルタンツ」を設立し、翌1983年8月に村上親子で「村さ来 秋田有楽町店」を開店しました。開店当日、次々と客が訪れたそうですが、オペレーションもできていなかったため、次々とお客様を店内に誘導したものの、適切に処理できず、お客様を待たせることが多かったようです。開店から数日間、オープンイベントなどの影響で店は賑わったものの、次第に客足は鈍っていったそうです。
 そこで村上雅彦氏は、客を取り戻すための方法を色々と考えたそうです。まず、酎ハイの種類を広げたところ、少し、客足が戻ったそうです。しかし、このような情報が流れると、他店も真似をするようになり、種類の競争になったそうです。あっという間に、酎ハイはカクテルのように種類が増えたものの、このままでは際限がないことから、他店では真似ができないドリンクを作ろうと考えたそうです。その結果、生まれたのが「巨峰酎ハイ」、「はちみつレモン」だそうです。「巨峰酎ハイ」の製造を依頼した飲料メーカーは、この商品のおかげで飛躍的に売り上げを伸ばしたそうです。
 この他にも様々なアイディアを凝らしたそうです。今では当たり前となっている「生しぼり」も村上雅彦氏の発案だそうです。また、宅配ピザでは常識となっている「ハーフ&ハーフ」、「クリスピーナ」などもその1つだそうです。これは、ピザ屋を営む友人のお店を救うためのアイディアだったそうですが、残念ながら採用されなかったそうです。
 村上雅彦氏のアイディアと工夫で窮地を脱出した「村さ来」でしたが、徐々にブランドの限界がみえてきたそうです。危機感が募った村上雅彦氏はオリジナルブランドの立ち上げを決断したそうです。ただ、村さ来本社に話をして、客単価が重なっているとお客様を奪うことになるので、同じ客単価を避けるという縛りで独自のブランドを考案することにしたそうです。
 そして、新ブランドの展開のために2000年7月、株式会社ドリームリンクを設立しました。社名の意味は、「ドリームの「D」は半丸であり、半丸が2つ重なると丸になる。また、丸が2つ重なると無限大の記号になる。ドリームリンクとは1人1人の夢を全員の力で叶えていこうという企業です。」とのことです。
 ドリームリンクは、「薄利多賣半兵ヱ」以外にも郷土料理店、串揚げ店、お好み焼き店、イタリアン、カフェ、バー、鉄板焼き、蕎麦屋など多種多様な新ブランドを次々と立ち上げ、現在では109店舗を運営しています。この成長の中、2006年にドリームリンクは株式会社秋田飲料コンサルタンツを吸収合併しています。現在、「薄利多賣半兵ヱ」は、全国で47店舗を展開しています。
 「薄利多賣半兵ヱ」は「昭和」をテーマとしており、店内の雰囲気、料理、価格など、あらゆる面で昭和初期のイメージにこだわり、あらゆる年代のお客様に楽しんでいただける店作りを心掛けているそうです。店内には琺瑯看板やブリキのおもちゃなど、様々な古きよき品物が配置されています。また懐かしいポスターや看板、メロディーが流れ、昭和を感じさせてくれます。駄菓子屋の定番、カレーせんべいやよっちゃんイカなどの幅広いジャンルのメニューなどもありますので、普通の居酒屋としての利用だけでなく、テーマパーク感覚でも利用できます。









・マルシンハンバーグ



・〆サバ刺身



・いなご佃煮